無視

私が通っていた小学校は、4年生になるときにクラス替えがあった。
クラス替え後、私を含め3人のグループが出来た。
一人は保育園からの幼なじみで今でも毎年誕生日プレゼントを贈り合う仲。もう一人はリーダー格の気の強い自己中心的な子だった。

リーダー格の子は、自分が真ん中の位置に座っていないと気が済まない、話題の中心にいないと機嫌が悪くなる、気に入らないことがあると人を簡単に無視する、など問題だらけの子であったが、私と幼なじみはそれに声をあげられず、グループ結成から約2年間は人知れず耐えた。

一番困ったのは、無視されること。
無視されること自体が辛いのもあるが、なにより困るのはその理由がわからないこと。わからないまま、「ごめんね。」を繰り返すも、無視。
また、無視が解除される理由もわからなかった。

私と幼なじみ、どちらかが無視されていると、助けてあげたい気持ちはあるが、次は確実に自分だと思うと、何も出来なかった。

そのうち、母がいなくなり、祖母や父ともギクシャクしてきて、特異な潔癖症になっていった私は、ある日突然、この「友達」との関係性がなんとも馬鹿らしく、幼稚なものだと思えたきた。

「お前にかまっている暇なんか、ないんだ!」

他の生徒が給食の後片付けをし始めている中、私は叫んだ。食べかけの給食はそのままに、教室から飛び出した。
その子は、なんと追いかけてきた。そして、後ろから羽交い絞めに近いような形で私の動きを封じた。

身体が小さく、腕力もなかった私は、羽交い絞めの勢いそのままに、ジタバタした。ふいにその子の顔を見ると、ご機嫌に笑っていた。

「今、私に強い言葉で、言ったね。」

そう言って、私を解放した。

それから私は、その友達と距離をとった。その子からの圧力はもうなかった。

今、思う。
とにかく、当時の私には「余裕」がなかった。きっと心には憤りや怒り、悲しみ、不安、寂しさなどがぎゅうぎゅうに押し込まれていたのだと思う。
ただそれを自覚するには、私は内向的過ぎたし、なにより幼すぎた。小さい身体には重すぎる心を抱えてしまっていた。

今でも続く友人たちは、主に中学3年生の時に一緒のクラスだった人たちである。我ながらすさんだ学生であったが、その友人たちは私の心に子供の無邪気さである土足では入って来ず、少し離れたところから見守ってくれていた。

「ここまで。」

という線をきちんと認識した上で、素の私と向き合ってくれた。

友人たちにはとても感謝しているし、いまだ頭があがらない。

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