自由な時間が必要だった

6月にも入り、普通の大学生であれば流石に新たな環境にも慣れてきた頃と思いますが、私は違います。
むしろ逆に行けなくなりました。
調子が良かったのは最初だけ、次第に足が遠くなっていくのをひしひしと感じています。
なぜこんな状況に陥ったのか、なんのことはなく自分の責任ではあるのですが、おそらくこれは私の人生において必要不可欠な経験なのではないかと思うのです。

思い返せば懐かしくも感じる、高2秋、iUを知り、徐々に引き込まれて言ったあの時から、私の運命の歯車は狂い始めていたのでしょう。
自分はiUに入るのだと疑わなかった高3。
あとちょっとで踏みとどまって都立大に方向転換できた今年の3月。
とにかく頑張ろうと意気込んで入学した4月上旬。
メンタルがおかしくなり始めた4月中旬。
適応障害に陥り、完全にダメになった5月。
そして現在。

この1年半程度で起きた全ての出来事が、今の私を作り上げ、崩壊へと導いていった…。
真面目にとればただの悲劇にしかならないこの現状を、どうして必要不可欠なんて言葉で片付けられてしまうのか、普通の人は不思議に思うことでしょう。

まず、私のこれまでの人生を振り返ってみた時に、今まで失敗という失敗をしてこなかったような気がします。
いや、避けてきたのかもしれません。
故に、自分の行いについてここまで後悔し、自身の成長を促すような経験を積んでこなかったのです。
しかし、今回は違う。
ここ1ヶ月ほど深い後悔に駆られ、ただただ自分を責め、泣きじゃくり、重い足取りで大学に行ったあの日々が、きっと自分を強くする。
そう思うしか、今の自分にはできないのです。

そして、高校生活を振り返ってみると、3年間コロナでやりたいことも抑圧され、平日は授業で疲弊し、休日は怠惰に過ごす日々を繰り返し、自分のことをあまりよく知ることができずに終えてしまいました。
これが、今回の失敗の一因でもあるわけですが。

私はとにかく不利な時期、不利な環境を生きてきました。
でも、できることはやってきたつもりだった。
だが実際はできていなかった。
自己分析も大学選択も、ちゃんとやったつもりで終わっていた。

この1年は、これまで立ち止まることなく突っ走ってきた私が、1度立ち止まって現状を把握し、自分を見つめ直すために与えられたものだと感じています。
きっとこの経験はこれからの私の人生に大いに役立つことでしょう。
私には、何にも束縛されない、自由な時間が必要だったのです。

ところで、私の近況をお伝えしておきますと、大学の授業はほぼ休んでいます。
そもそも辞める前提なので落単覚悟です。
何にも束縛されないとは言っていますが、受験勉強はあります。
でも、それで良いのです。
私が心から望んでやっていることなので。

今は、これまでの18年間で疲れきった心と身体を癒して、次のリスタートに備えること。
それ以外、今の私にできることはありません。
これは私の人生、誰にも邪魔されない、自分だけの道なのです。

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