振り返る。双極性障害、苦しみからの脱出①
おはよう御座います。
わたしが双極性障害だった事は過去記事にも書いているので、経緯については少し割愛します。
2019年2月、わたしはボロボロだった、何もかも。
事業は既に破綻し、生活も破綻していた。
毎日アルコールを飲んでは一瞬でもその現実から解きたれたかった。そして、馬鹿みたいな夜を過ごした。
けれど朝にはアルコールの残る身体と頭で、また朝が訪れる事に、恐怖と自責ばかりが頭を巡る。
もうどうして良いのか分からなかった。
そしてそんな自分を恥ずかしく、誰にも知られたくなかった。
誰も助けてはくれない、もう死んでもいいか。
先も見えない。その頃、病院にも行ってはいたが何も変わらない。
破綻した生活から抜け出す術なんて、何も思い浮かばなかった。
シングルマザーで、子供を学校に行かせるのがやっと。
取引先から、朝から電話が鳴り続ける日々。
もう、どうでもよかった。
動かない身体、支離滅裂な思考、電話料金さえ払えない様な日常、そんな毎日から
抜け出せない苦しみ。
咄嗟的に、子供を連れて富山に行った。
富山なんて行った事もないし、何も知らない場所。
とにかく現実から逃げたくて、動かない身体と正常ではない思考で、富山に向かった。
子供と2人で富山に着き、とにかく聳える山々の奥まで行った。
初めて降り立った土地。
住んでる地域とはまるで違う都市だった。
山の奥のホテルの1番良いホテルの1番良い部屋に泊まった。
素敵な部屋と夕食、電波の繋がらない時間、ほんの少し、現実を忘れた。
帰る事になり、わたしはその足で、上の子供が住んでいる東京に行った。
息子の家に転がり込み、外に出る事はなく、とにかく身体が動かなかった。未来なんて1mmも見えなかった。
子供の学校から電話が来ていた。けれど出なかった。
そんな日が連日続いた。最低な親だ。これ以上、上の子供にも迷惑は掛けれない。どうしよう、それだけが頭を巡っていた。
下の子供と2人で今の生活にピリオドを打とうか、
そんな気持ちだった。
そんな時だった。。
次に続く。。
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