見出し画像

終末医療は心の医療

死について

突然言うから

誤解される

でも

外国では安楽死を認可している国もあるのにとか

医療用大麻の効用が認められているのになぜ日本では認可されないの

と思うのも自然のことだと思います

ある時死生観について学ぶ機会をいただきました

それまで私には怖くてしょうがないものがあった

それは

夫が死んだ後の遺志のことでした

どんなに厳重に遺言書を作っても

自然死でない場合

事故とそうでないものを正しく調べなくてはならない

その区別はどのように付けられるのかが

恐ろしくて仕方なかった

人に非難されるのが

とても怖かった



夫は老衰で亡くなった

夫が米寿のお祝いの頃に

生涯はどのようだったと聞いてみた

「いや〜短かったよ」

そう言って

「ありがとう」

 「優しいね」 

という言葉を最後には繰り返していた

厳しい時代を通り過ごして得た安住の地で

死することは

生き抜くことだったように思う


事情を抱えた子どもさんたちの施設に行くと

子どもさんが寄ってきてくれる

夫は自分を頼りにしてくれることが

とっても幸福だったように私には見えた

必要とされることで

心がが満たされていたのだと思う

腸閉塞を患って入院することになった

3ヶ月が過ぎようとした頃

外科の先生に

t

「ご主人は老衰です 外科としては何もできない」

と言われて内心ムッとして

(まだ生きてる)

って突っ込もうと思った

それから間も無く

外科病棟から緩和ケアー病棟( 終末期病棟 )へと移動された

見舞いに行くと

必ず寝ている

そおっとランドリーに行って

洗濯を始める

病室に行って

脈を見る

ほとんど脈を感じない

しばらく夫の手首に指の腹を当てていると

突然

ドキンと脈を打つ

そして

目覚める

来る日も

来る日も

同じようだった

点滴の管が トイレに行くたびに絡みつく

もう こうすれば絡んだ管が戻るという思考ができなくなっている

「 もう嫌だ」

と言い出した

看護師さんが献身的に支えてくれる

娘に3人目の子が誕生した

寝ている夫に伝えたら

突然起き出して歩こうとした

「どこへ行くの」

と言ったら

「そうだな 寝ているのが1番だな」

と言って、笑顔を見せた

数日後

嫌な予感がした

絶縁していた

ご親戚に連絡をどうするか

心の葛藤があった

迷いに迷って

夜中に手紙を書いて

弁護士さんに送って

朝電話を入れた

「会いに来てもらえませんか」

私はそのように言った

「親戚で相談します」と返事をもらった

翌日

担当医から電話をいただいた

「輸血したい」

輸血の既往歴を聞かれたが詳しくはわからない

胃がんの摘出歴にあることだけ夫から聞かされていた

病院に慌てて駆けつけた

青白い顔押した夫がいた

輸血しなかったら今日中だな

と感じた

間も無くして輸血の同意の説明を看護師から聞かされた

書面に必ず医師の説明を受けることと書いてあるのに気づいた

「拒絶反応は出ますか」

と聞いたが

わからなかったようなので

看護師さんは

慌ててナースセンターに 聞きに行った

「拒絶反応は出る人もいます」

と返事をいただいた

さてどうする

その間、私は休まず

夫の手首にいつものように指の腹を当てていた


そしていつものようにドクンと脈を打った

みるみる うちに肌の色が戻ってきたように思った

間も無く医師が来たので

「輸血をお願いします」

と意思表示をした

ご親戚が来るまで待とう

その時間を二人っきりですごそう

と覚悟を決めた

そして

「生きる力がある」

「拒絶反応は乗り切れる」

と信じてみた

「わかりました、輸血の準備をします」

と医師がしっかりと した口調で受け付けてくれた


午後になり

再び医師が回診に来た時は

顔色がうっすらとピンク色に変わり

優しい顔になっていた

「愛の力ってすごいでしょ」

って言ってみた

医師は大きく頷いた


8時間ぐらい経ったかな

輸血の間

口をもぐもぐして

何か美味しいものを食べているようだった

「胃瘻をするとそうよ」聞いたことがあったので

これかーと思いながら

そに幸せそうな顔を見ていた

あるような 無いような脈を確かめながら

無言の会話を楽しんでいた

私はその夜は帰宅した

返事がこない

もう一度弁護士さんに連絡をしてみた


二日が経った

今夜乗り切れば72時間だから

2時応答のショックはないだろうな

なんて勝手に思っていた

病院から電話が来るまでは

「来た方がいい」

そう連絡があった

後から思えば「危篤です」って言ってと思ったのですが

すぐに病院に向かった

夫の手首に指の腹を当ててみた

強くて、規則正しい脈を感じた

そして 今まで以上に愛を込めて

夫の顔を見つめた

あっとゆう間に夕方になった

「ねえこの脈どお思う?」

と新米ナースに聞いてみた

「すごいいい脈ですね」

なんでこんなに元気になるんだろう

と不思議そうにしていた

「明日 鍼治療をしてあげたい」

とそのナースに相談してみた

「明日朝担当医に伝えます」

と真剣にメモを取っていた

「朝って 、今夕方だからこれから夜勤なの」

と聞いてみた

「一旦帰って 12時から翌朝までの3交代なんです」

と驚くようなシフトに、その時始めて気がついた

看護師さんやお医者様の献身的な労働によって私は幸せな時間をいただいているのだと


その夜 23時40分に病院から再び電話が鳴った

到着した時には

体に絡みついていた点滴の管は外され

酸素マスクも置かれていた

思い返すと

ナースステーションに近づいた時

「ごめん間に合わなかった」

とベテランナース知らせてくれた

病室に泊まりこもうと持ってきたキャリーバックを

どのようにして携えたかわからないが

おそらく走って病室に行ったと思う

きっと私が夫の亡骸をいきなりみたら辛いだろうと思ってくれたのだろう

脈を取ったら 体がまだ暖かい

顔色もいい

もしかして

このまま

何時もにように手首に触れていたら

また脈が応答するかもしれない

一瞬そう思ったけれど

静かにその手首を握りしめたまま

胸の中で顔を埋めてみた

「お疲れ様」と伝えたら

「まだまだ」と返ってきた

一足先にたどり着いた息子が

私にその場を譲った後は

ソファーで静かに座っていた

そして

しばらくして病室に入ってきたいつもの新米ナースは

コンタクトを外して眼鏡をかけていた

そして目が真っ赤だった

終末医療は心の医療




















http://taima.world/2018/11/06/medical/