ポスドクの職探し

3月から私は所属が変わり,新しい研究を始めたところです.

去年学振PDも出していて,せっかく運よく通ったのですが,結局別の研究室を選んでしまいました.申請書を書く時間があまりなくて,正直なことをいうと,通るとはあまり思っておらず,別の研究室のポストも探していたら,より興味の一致するところを見つけてしまったのです.それでいて,学振PD通りましたと報告して喜ばせてしまったため,受け入れ先の先生には申し訳ないことをしました.

申請書もせっかく書いたので,目指す研究者像として書いたポエムを一部伏せて公開し,供養にします.なかなかそれっぽいことを書いていますね.計測工学の分野に出したので,少し分野に寄せたつもりです.(ところで,学振側の「身に付けるべき資質」という表現に違和感があります.資質とは生まれつき備わった性質のことではないのでしょうか?)

(1) 目指す研究者像  ※目指す研究者像に向けて身に付けるべき資質も含め記入してください。

朝永振一郎は「ふしぎだと思うこと——これが科学の芽です.よく観察してたしかめ,そして考えること——これが科学の茎です.そうして最後になぞがとける——これが科学の花です」と語った.私は,この茎の部分がしっかりしていることが,現代科学の芽と花を支える研究者の資質ではないかと考えている.

優れた研究者は,観察するポイントが的確であり,そして観察を踏まえて次に観察すべきは何であるかの考察力に関しても秀でていると感じる.こうした真の観察力の高さは,良質な知識を蓄えることによって養われるものと信じている.これまでの経験から,観察を助けてくれるのは,一つ疑問に直面するたびに自分の満足のいくまで徹底的に追求して考え抜いて得た,自分の使いこなせる質の高い知識だけであることを実感しているからである.

一方であらゆる考えは,実証されて初めて自然科学となるわけで,自然と直接触れあうこと,すなわち計測がなければ新しい発見はない.新しい発見をするためには,泥臭い作業を伴う実験とひたすらに向き合い,自然に隠された仕組みを探る必要がある.

だからこそ観察対象を広げる研究の重要性を感じ,私は現在NMRの測定装置の開発研究を行っている.究極的には,これまで見たくても見ることのできなかったものを見られるようにし,そしてそこから自然を観察することを通して,誰も気づけなかったようなシンプルな答えを常識にとらわれずに導き出せるような研究者に,私はなりたい.

そのような研究者になるために,良質な知識を蓄えある程度の研究の見通しを持って観察することと,実際には泥臭い数多くの実験ののちに考察することの双方をバランスよく実行してきた.これまでの研究を通じて科学者の資質を鍛えてきたし,今後も継続して鍛えていく.

(2)上記の「目指す研究者像」に向けて、特別研究員の採用期間中に行う研究活動の位置づけ

特別研究員として行う研究活動は,私にとって知識の幅を広げてくれるものである.これまでの研究の単なる延長ではなく,新たな専門性を身につけるチャンスであると感じている.私はこれまで理学研究科の化学専攻に所属して研究を進めてきた.物性の解明や材料の設計といった化学的観点は,人類社会の発展のために大きなインパクトを持つ.一方で,とりわけ軽い元素では,構造や状態の計測手法が未だに確立されていないことも実は多く,新たな計測手法の開発は大きな課題である.計測手法のブレイクスルーを化学者たちは待ち望んでいるが,そのためには,計測の原理的な部分から考察を深め,装置を開発し,検証していくことが重要であると考えている.

重力波望遠鏡を専門とする〇〇研究室には,さまざまな分野で培われた技術が集結している.とりわけ,検出器の原理的な部分を突き詰めなければ,重力波検出に求められるような究極的な感度を達成することはできない.また重力波望遠鏡は,大型のプロジェクトであり世界的に競争の多い分野でもあるため,急速に技術が発展してきた.そのような研究を行ってきた研究室に所属して本課題研究を遂行することができれば,世界中の研究者とコミュニケーションをとりながら,理論と応用の両面から知識を取り込むことができる.

〇〇のフィードバック冷却を介した〇〇の冷却という本研究課題のアイデアは,それ自体物理学的にも興味深い.この技術が実験的に確立すれば,波動関数の収縮やシュレディンガーの猫状態の検証など,量子力学的に深淵なテーマへと広がっていく可能性がある.〇〇研究室では,このような基礎物理学的な側面からも,重力波デコヒーレンスの観点から研究を行なっている.本研究は,多くの科学者がふしぎだと思う芽を,花にできるように,茎の部分を成長させてくれるものであると考えている.

kTの学振PD申請書より

こうして職探しをしていると,私の興味はどこにあるのか,改めて考えさせられます.私は理学部の人間なので,自然のありのままの声を聞きたいと,そう思ってきました.自然をコントロールしたり,欲しい機能を持たせたりするのは工学部のすることだと思ってきました.しかし,自然の声を聞くためには,自然をコントロールし,機能をうまく利用しなくてはできないということが,恥ずかしながら研究して初めてわかりました.

私は,自分の体験しているこの世界が不思議でなりません.なぜ猫は重ね合わせ状態にならないのでしょうか,なぜ死んだ猫は生き返らないのでしょうか……線形で可逆な「あたりまえの」量子力学がどのようにこの「ふしぎな」古典力学と結びつくのかといった問題に実は関心があります.さて,古典と量子,どっちが不思議なんでしょうね.

クオリティの高いノートをたくさん書けるように頑張ります!