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母から言われた一言『あなたは、どんな父親になりたいのー?』

 きっかけは、土曜日に行った従兄弟の結婚式での出来事でした。3歳の甥っ子が、久々に会う親族たちにテンションが上がって、すごく楽しそうに過ごしていました。男の子なので、色々とやってみたいことがたくさんあって、あっちに行って何かして、こっちに行っては何かして、ずっと動いています。

 僕と兄の所にも来るのですが、基本僕たちは怒ったりしないで『やらせてみる派』なので、危ない時以外はやらせます。でも、お父さんは「人に迷惑をかけてはいけない」と思っているので、かなり睨みを効かせているのをヒシヒシと感じながらも、甥っ子はそれに負けじと、行動して、何度かお父さんに連行される場面がありました(笑)

 そんな出来事があったのを、実家から自宅へ帰る車の中で『ずいぶんと睨みをきかされても、遊んでたね。あれを見てさ、俺はできないなぁ…って思っちゃった』と言うと、母が「そうね、前にもお姉ちゃんに言ったのよ。どんなお父さんになりたいから、あんなに睨みをきかせているんだろうねって。あんた聞いたことあるの?ってね。そしたら”ない”って言ってたわ」

 職業柄、力で抑えていくと、ある年齢にくると反発が凄くなることを知っているので、叱らずに子どもを動かす術をよく研究しました。母はそれを客観的に見て、察したので、そうゆうことを言っているんだなと。

 我が家は、僕が3歳くらいの時に離婚して、その2年後に育ての父が来ました。そして僕が10歳の時に心臓発作で死別をしました。姉の旦那さんも、早くからお父さんがいないので、お互いに”父親像”がないんです。

「で、あんたはどんな父親になりたいと思ってるのー?」

 車の運転をしながらだったので、その時は『ふざけた父親』と言いました。この『ふざけた』には、色々なニュアンスが入っていて、”遊び心”とか”常識に縛られない”とか”適当な自由さ”とか、まだまだありますが、とにかく自然体な人間で在りたいという想いが入っています。これは別に嘘ではないのですが、一晩寝て、今日の朝にもう一度考えてみました。


『一緒に過ごす時間の多い父親になりたい』

 今はこれですね。いや、むしろこれが根っこの部分なんじゃないかと思います。無意識ではあるけれど、やっぱり一緒に過ごす時間が僕には必要だったんだなと…。父親になる前は、見本となる父親を早くに失っているので、どこか不安で、どうすればいいか迷っていたことを思い出しました。

 だから、無意識でも『育休を取る』という選択を選んだんだな、と今はそう思います。根っこの部分から、色々を成長して、枝葉を伸ばして、色々と意味や意義を広げていったのですが、改めて自分の本質的な部分が再認識できてよかったです。母からすごく良い問いを投げかけてもらいました。

 僕は良い意味で、型がないので、自分で自分の父親像を創り上げることしかできないので、先入観や固定概念、世間の常識に縛られずに、広く学びながら生活していくことが普通になっています。これはむしろ恵まれていることなんじゃないかと思っています。

 奥さんが起きてきたら、この話をしてみようと思います。夫婦でお互いに想いを共有しておくことは大切ですからね♪


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