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ソーシャルアプリをつくる理由、あるいは友だちとインターフェイスについて

TrashX という会社をやっている 13an というものです。読み方は [ban] です。雨だし祝日だし、あとこの前アプリをリリースしたから今の自分が考えていることを残しておこうと考え筆をとりました。別にこれはプレスリリースでもないし、ユーザーの方に伝えたいことってわけでもないし、でも Now というアプリをリリースした時の、会社がまだ2人の時の気持ちを残しておきたいなと思っただけなので肩の力を抜いて書いていこうと思います。それくらいハードル下げて読んでね。

Now

さっきも書いたけど今ぼくたちは Now というアプリを作っている。Now はリアルタイム・ソーシャルアプリだ。位置情報や今聴いている音楽などのステータスをリアルタイムに友だちと共有するアプリだからそう呼んでいる。こういうジャンルがあるかは知らないし調べた感じあまり見かけない。だから今後呼び方は変わっているかも。リアルタイム・ソーシャルアプリと言われてもぴんときてないと思うので補足すると "位置情報以外も垂れ流すZenly" ってイメージだ。とにかく作ってる自分たち的にはとても楽しいソーシャルアプリだと思っている。是非友だちと使ってみてほしい。

なぜソーシャルアプリをつくるか

ぼくたちは今会社としては3期目。大学で仲良くなった友だち2人で創業して、これまで5~6つくらい一緒にプロダクトを作っている。創業前に作ったものを除けば4つはすべてソーシャルアプリだ。まず最初に、大学時代に一人暮らしの夜が寂しかったので、もっと友達と気軽に通話できたらなぁと思って roomn (ルームン) という音声SNSを作った。次に友達と思い出を共有したいなと思って撮っただけで友だちと共有しているアルバムに写真が入っていく Jam (ジャム) というアルバムカメラアプリを作った。その後は友だちが今やってるゲームが見れたらなぁと思って Now というアプリを作った。この Now をリアルタイムソーシャルを軸に複数回ピボットして今の Now がある。ずっとソーシャルアプリを作っている。

試行回数が少ないぞ!と怒る人が出てきそうだが、自分たち的には結構作ってきたなと思っている。roomn、Jam、前の Now、それぞれ作ってた時にライバルだと思ってた人たちは違う領域に行ってしまった。だから全然稼げてもないのに良くも悪くも自分たちは粘っているなと感じる。ではなぜ僕たちはソーシャルアプリにこだわっているのか。

今これを読んでいるあなたにとって大事なものはなんだろうか。名誉、大金、趣味、モテること、色々あると思う。ぼくもその辺全部ほしい。でも自分にとって一番大事なものは恋人、家族、仲間、そして友達だ。今の少ない役員報酬を生活以外で何に使うかと言われたらデートと飲み会と帰省だし、でっかい会社になっても社長室にアンティークの椅子なんか置かずにその金を会社のみんなでいく旅行とかに使いたい。こんなこと言うと怒られるかもしれないけど、さっき挙げた大事な人たちを人質に取って会社を潰せと脅されたらすぐに会社を潰す。普通にそっちの方が大事だと思っているし、これで怒ってくる人に対しては「ここで会社を選ぶような薄っぺらい気持ちで友達が大事とか言いながらソーシャルアプリやってる人の方が疑わしくね?」と思う。これだけは赤犬に殺されそうになってもコビーのように大きな声で叫んで信念を貫きたい。まぁこんな0か1かみたいな状況は少ないし両方を選べるように強くなろうと日々頑張っているので怒らないでほしい。

結論、恋人、家族、仲間、そして友達が大事だと思ってるから、その人間関係をより楽しくするためにソーシャルアプリを作っている。たくさんソーシャルアプリがあるし、1万分の1くらいでしか当たらないような事業なのにやってるのはもっと良くできるという自信があるからだ。

※ 恋人、家族、仲間、そして友達と分けて書いたが、今作っているアプリが友達関係をメインにしているので、ここからは友達に絞って書いていく。大きな差異はないので、適宜友達と書かれた部分に恋人、家族、仲間を当てはめて読んでほしい。

友達が大事

どれくらい友達が大事かについて書き足りないのでちょっと書かせてほしい。これを書いたらソーシャルアプリとインターフェイスに対する考えとかを書くつもり。最後に Now で作りたい世界観とか書くかも。

さあ友達が大事という話だ。ぼくには50人くらい仲良い友達と呼べる人がいる。とてもありがたい。迷惑をかけることも多いし、金もなくて助けられているのに、自分のことを好いて一緒に遊んでくれる人がいるのはこの上ないほどの幸せだ。

友達との思い出はたくさんある。幼稚園の友達と親が迎えにきてくれるまで夜遅くまで砂場や折り紙や鬼ごっこで遊んでいたのは楽しかった。鬼ごっこは自分の足が遅くていつも鬼になったしつまらなかったが今となっては良い思い出。数年前、20年ぶりくらいにその頃の友達と会った。20年ぶりとは思えないくらい心地よい時間だったし、2人のこれまでの人生とこれからの話を聞いて幸せになった。またカラオケに行きたい。

小学校と中学校では家が近い友達とサッカーを一緒にやっていた友達と仲が良かった。転校してきた自分を受け入れて話に入れてくれた時の気持ちは今でも覚えているし、帰り道でふざけあった思い出もたくさんある。今でも長期休暇には毎年集まって飲みにいくし、ちょうど今年末の日程調整をしている。楽しみだ。

高校の友達は特に今の自分の人格を作ってくれたなと思う。中学の頃よりも友達とぶつかって色々考えた時間だった。逆にその分本当に悩んだ時に助けてもらった人も多いなと思ってる。もちろん高校以外にもそういう友達はいるけど比較的ね。高校の友達はいまだによく会って話す人が多い。この前サッカー部の時の友達と飲みに行ったけど楽しかったな。年末が楽しみだ。

大学の友達はまた違った深いつながりがある。大学では学部の友達とサークルの友達がいる。サークルが海外インターンシップを運営する学生団体で結構ハードな活動だったのもあって、その頃の友達は戦友に近い。とても信頼できる人たちだ。そんな大学生活だったのもあって学部での勉強はほとんどせず結局ほとんど単位を取れずに退学したのだが、そんな自分でもよく遊びに誘ってくれた学部の友達も本当に貴重な存在だ。この頃自分でいろんな活動を始めたり毎週夜行バスでインターンしにいったりと精力的に動いていて、いろんなストレスで一度適応障害になっているのだが、この時は本当に友達に救われた(もちろん恋人と家族も)。これが一番大きな「友達が大事」だと感じた原体験だと思う。

自分が大事にしている考えとして「コミュニティを複数個もつことが救いになる」というのがある。誰かの研究でも結果が出ているらしいけど、要はどこかのコミュニティでストレスを感じても他のコミュニティがあればそっちに移動できるし、一度逃げて英気を養ったらまた戻れるよという話だと自分は捉えている。だから中高年男性が職場以外に居場所がないという話や、学校が世界の中心だと思い過ぎてしまうような環境について見聞きすると強く問題意識を感じる。自分の場合は先に挙げたようなコミュニティに最高の友達がいたから救われた。これがあるのとないのとでは生死が変わるくらいに重要だと思う。

後半は救われたというマイナス寄りな話になったけど友達がいるのといないのとでは楽しさが圧倒的に変わると自分は感じる。ひとりでご飯食べるよりみんなで食べた方が楽しい。今自分はシェアハウスで共同創業者と友達3人の5人で暮らしている。仕事でずれることもあるけど一緒にご飯を食べる時間は最高だ。最近はご飯を食べながら梨泰院クラスをみんなで見ている(4周目くらい)。スア派とイソ派でどっちが良い悪いという話を延々としている。とても楽しい。まぁ友達がいると楽しいという話は多くの人が実感あると思うので書かなくても伝わるか。

とにかくこれくらいぼくは友達のことが好きだし大事だと考えている。そんな友達とのコミュニケーションをもっと楽しくするソーシャルアプリを作りたいよねという話だ。

ソーシャルアプリが好き

ソーシャルアプリの話に戻ってきた。これだけ友達が好きなのでそりゃ好きだろうなと思うかもしれないがどこが好きかたくさん書きたい。本当にあっちこっち話が飛んでて読みにくいと思うけど付き合ってほしい。

初めてソーシャルアプリに触れたのは中学校の時のメール、Facebook、LINE、そして Twitter だ。家に帰ったらすぐにパソコンと iPod touch を開いてずっと友達としゃべっていた。恋バナもしたし、コラ画像でも遊んだし、バトンもした。懐かしい。少し前に当時の Messanger での会話を振り返ってたら自分の喋り方が吐き気がするほど気持ち悪かったけど良い思い出ではある。そのあと高校に入って Instagram を始めて、大学に入って Zenly や Discord も使った。あと中学の時は Amebaブログもやっていた。

どのアプリも自分の世界を広げてくれたし、友達との楽しいコミュニケーションを作ってくれた。Twitter とアメブロで繋がった人とは音楽の話もしたし、英語の勉強もさせてくれたし、戦争や世界平和についても議論した。世界は広い、いろんな考え方の人がいる、でも会話することで仲良くもなれるしお互い成長することもできる。これがなかった時代に生まれた自分はどんなだったろうと思う。Instagram では最初友達ではなくアーティストをフォローしていた。自分も Snapseed で描いた絵を Instagram に投稿していた。確か #SaveForGaza みたいなハッシュタグで投稿した絵にたくさんのいいねや色んなコメントがついたことが強く記憶に残っている。友達をフォローする時に消しちゃったけど(その時アーカイブ機能なかったのが悔やまれる)。

ソーシャルアプリは場所、時間、お金などの制約を取っ払って、人と人、人と情報をつなげていく。友達とのしょうもないけど最高におもしろい会話、大切な人といつでも連絡がとれるという安心、世界中の人と同じ話題で盛り上がれる楽しさ、様々な考えに触れて自分の思考を深められること。これらソーシャルアプリが生んだすべてがどれだけ貴重かと今日までずっと感銘を受け続けている。もちろんソーシャルアプリの功罪については重く捉えているつもりだ。大勢にすべてを否定されるのがどれほどしんどいのか想像もつかないが人を死に追い込むものであることは理解しているし、正体は知らないけど良い人そうだと会ってみたら殺される、そんな事件も起こる。ソーシャルアプリがなければそれらは起こらなかった。これはソーシャルアプリを作っている人たちの更なる努力で解決されるべきことだし、自分たちもその一人なので努力していく。ただそれでも、それでもソーシャルアプリがある世界の方がいいと信じている。

ソーシャルアプリとインターフェイス

それだけ素晴らしいソーシャルアプリが世界中の人々の生活を作っている中で、Now がどのような新しい未来を作っていくのか。それを伝える上でソーシャルアプリとそのインターフェイスについて考えたい。

ソーシャルアプリの中に存在する物は基本的に「人」と「文字や画像などの情報」だけだ。ユーザーはそれらを様々なインターフェイスを通して操作する。

インターフェース
別名:インターフェイス、インタフェース
英語:interface

インターフェース(英:interface)とは、もともと「接点」や「境界面」を意味する語であり、特にコンピュータシステムにおいて異なる機器やシステムを接続する部分を指す用語として用いられる表現。人間と機械の接点となる入出力システムを指す場合もある(ユーザーインターフェースおよびマンマシンインタフェース)。

weblio辞書

この「人」と「情報」をどのように表示してあげるかで体験が大きく変わる。極論かもしれないがテキストと画像を入れ替えたら Twitter も Instagram も大きく変わらない。世界中の人が情報を発信し、それをフォローして追ったり、リアクションをしている点では同じだ。メディア的な要素とコミュニケーション的な要素の割合や、情報の伝わる速度や、つながる人など、それらはインターフェイスをどう設計するかで変わってくる。ソーシャルアプリのインターフェイスについてこのように自分は考えている。

普通ソーシャルアプリとは呼ばないかもしれないが、手紙や電話やメールも "物理的に会わずにコミュニケーションをとるための道具" としてはソーシャルアプリと同じだ。それらを含めたソーシャルアプリはユーザーが相手に「ステータス」を伝えて「コミュニケーション」する方法を進化させてきた。

  • 紙によって、遠く離れた人には情報を伝えられるようになった

  • タイプライターによって、読み書きできずとも手紙を出すことができるようになった

  • 電話によって、遠く離れていても声を聴きながらリアルタイムにコミュニケーションできるようになった

  • メールによって、手紙を郵送するのにかかる時間を限りなくリアルタイムに近づけた

  • チャットアプリによって、リアルタイムでより会話的なコミュニケーションを作った

  • 画像や動画によって、言葉では伝えられないような情報やステータスも共有できるようになった

  • ソーシャルマップによっ、位置情報もリアルタイムで共有してステータスを伝えられるようになった

ここまでくるとほとんど物理的に一緒にいるのと同じではないか。VRなどの技術はさらに先に連れて行ってくれるだろうと思うと楽しみで仕方がない。ソーシャルアプリの歴史は、発展していく技術を使って、物理的に横にいる時と同じようなコミュニケーションを作り上げてきた歴史だとぼくは考えている。紙、音声、テキスト、画像、動画、ライブ動画、マップ。そういったインターフェイスが進化することで、よりリアルに近いコミュニケーションが作られてきたのだ。

Zenly は素晴らしい

ぼくが特に好きなソーシャルアプリは Zenly だ。ユーザー視点では、何もできず家に篭っていた自分を Zenly でみた友達が京都から神戸の自分の家まできて連れ出してくれた思い出があるからなのだが、インターフェイスの視点で見ると「ステータス」をリアルタイムに伝えるインターフェイスを作り、人々の生活を変えた世界初のプロダクトだと思っているからだ。

マップの上に表示されるアノテーション(地図上に友達のプロフィール画像が表示されているあれ)が友達が今いる場所をリアルタイムに反映し続けるのだが、そこに今どれだけ滞在しているのか、移動しているのか、移動しているなら時速どれくらいなのかまで細かく反映されている。このようなインターフェイスによって本当にこの世界に友達が今存在していると感じることができる。

アノテーションはふわふわとバウンスするような動きをし続けているのだが、このバウンスの周期が自分調べだと人間の平均的な心拍数と同じ周期になっている(大きなアップデート前の話)。別にこんなアニメーションがなくても情報として友達がここにいるというのは伝わるのだが、この方が友達の存在がありありと感じられる。インターフェイスへのこだわりが感じられて初めて触った時にとても感動した。

最後に細かい部分なのだがマップの動き方が素晴らしい。アプリの背景全体にマップが広がっているが、別の画面を立ち上げた時にそのマップがやや後ろに引くような動きをする。2つの画面の高さに差をつけるためにそのような動きをするのは当たり前だがマップでもそれを再現している。そこに世界が広がっているというのを感じ続けられるようにインターフェイスを作り込んでいる。本当にすごい。

このような工夫を凝らして作られた Zenly のインターフェイスは、ユーザーが友達の存在をリアルタイムに感じる体験を作り、近くにいる友達を遊びに誘ったり、家で暇そうな友達と楽しくチャットするようなコミュニケーションを作っている。自分の体感だが他のチャットアプリよりも、リアルタイムなステータスを共有している Zenly の方がコミュニケーションがしやすい。それは今どこで何しているかという情報がコミュニケーションのきっかけになり、まるで実際に隣にいる友達に話しかけるような気軽さを作っているからだと考えている。

ステータスとコミュニケーションをどんどんリアルに近い体験に進化させてきたソーシャルアプリの歴史において Zenly が最も先を走っていた(Honk や  Gather、リアルタイムにアバターとボイチャでコミュニケーションするゲームなどステータスとコミュニケーションをリアルに近づけた他のプロダクトにも触れたいが長くなるのでここでは割愛する)。Zenly は友達とのコミュニケーションという人生においてとても大事なものを作っていたのだ。この Zenly に触れたことが自分が会社をつくってソーシャルアプリを作ろうと思った大きなきっかけになっている。Zenly は素晴らしい。

Now はこんな世界をつくりたい

Now は Zenly にかなりインスパイアされている。今ダウンロードしてアプリを触るとおそらく「はいはい Zenly サービス終了するから代わりを作ってユーザー集めようとしてるのね」と感じると思う。作りが似ているのとその狙いは否定はしないし、むしろ細かい部分まで参考にして作らせてもらっている。Zenly を作ったチームに会って尊敬と感謝を伝えたい。

しかし根本にある作りたい世界観は違う。ぼくたちの最初のプロダクトは roomn という音声SNSだが、3年前に初めてソーシャルアプリを作りたいと思っていた時のアイデアは別のものだった。そのアイデアは「気分Zenly」。そんな仮名をつけて考えていたのは、今いる場所も、今していることも、今の気分も、すべてをアバターを通してリアルタイムに共有するアプリだった。そこから「まずはリアルタイムなコミュニケーションをつくろう」と考えて roomn を作るに至るのだが、その時からずっと根本にあるのはこの気分Zenlyの構想だった。だから "social map" や "your world"、"あなただけの世界を地図にするソーシャルアプリ" などと銘打った Zenly とはやや違う世界を見ていると思う。ここで Zenly との違いを説明したのは Now が作りたい世界観をクリアにするためでもあるが、主に「Zenlyサービス終了にかこつけてアプリを作り始めた人たちとおれらは違うんだ!」と言いたい自己顕示欲故だ。そのような動きをしている人を否定していい権利も嫌う気持ちもないのだが、負けないぞ!最後に使われつづけた方の勝ちだからな!とは思っている。

脱線してしまった。Now がどんな世界をつくりたいかだ。Now は "Life with Friends" というコンセプトでやっている。ここまで7000字ほど書いて伝わっていなかったら悲しいのだが、とにかくぼくたちは友達との楽しい生活を Now というプロダクトを通して作りたいのだ。今いる場所がわかれば友達を遊びに誘いやすくなる。今聴いている曲がわかればなんとなくその友達の気分もわかるし、「その曲いいよな!」という音楽談義もできる。今いる店で食べているものがわかれば今度一緒に食べにいこうという話になるかもしれない。今スタジアムで観戦しているサッカーの試合の中継がアプリで流れていたら一緒に応援している気持ちにもなれる。今の気分がアバターの表情に反映されたら悩んでいる時に声をかけれるかもしれない。仲良い友達と一緒にいる(と感じられる)だけでどれだけ楽しいコミュニケーションが生まれ、どれだけ支え合えるか。これを Now は作っていくし、そのような世界観を "Life with Friends" というコンセプトで表しているつもりだ。まだまだ実際のユーザーのエピソードで世界観を伝えることはできないけど、こんなことを今、リリース時の自分たちは考えている。友達が大事だなと思う気持ちは人一倍強いと思っているし、ソーシャルアプリに対する考えもとりあえず日本では確実に一番強い自信がある。ちゃんとこの世界を実現したい。

おわりに

友達やソーシャルアプリが大好きで、ソーシャルアプリのインターフェイスの進化と、Now がつくりたい世界について書いてきた。文章の構成は読みにくいし、興味がなく読むのが面倒な箇所が多かったかもしれないので、ここまで読み切った人はいるのか?と思うのだが、もしそんな人がいたら最後にお願いがある。Now をぜひ仲良い友達と使ってみてほしい。まだまだ理想まで遠く最低限の体験が保証できるレベルだが、使ってくれる人の声でプロダクトは良くなるので是非使ってみて、可能なら App Store で星をつけるのと App Store のレビューかぼくの Twitter の DM にフィードバックを送ってほしい。よろしくお願いします。

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そして、Now がつくる世界を一緒に作りたいという人がいれば連絡してほい。仲間になってほしい。この前資金調達を完了して直近ではiOSエンジニアを1人採用したいと思っているが、その先で仲間はたくさん必要なので、今これを読んでいるのが何年何月何日だろうと連絡してほしい。一緒に Now をつくろう。

おわり