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山に登る、ということ


人生は山あり谷あり、そんな言葉があるけれど今回は物理的に登る登山の話。

現在私の中の最前線の趣味として、登山があるけれど
ふと、"なぜ山に登るんだろう。"そう考え始めたらモヤモヤが募って纏まらない。
一旦書き出してみることにした。

社会に飛び出してから芽生えた、大切な大切な休日の趣味。様々な考え方があるけれど、私は仕事と趣味をきっちり分けるタイプ。休日をモチベーションに日々を駆け抜けるのだ。

さて、様々な趣味の中で、幼少期の経験を追いかけるように私はまずキャンプに辿り着いた。
3〜4年はキャンプに夢中になり、限りないchillという名のロマンを追い求めたあと、気がつくと登山に夢中になっていた。


日本の国土の何割は山岳である。数字は知らない。
博士になるつもりはない。
高い山があったり、低い山があったり、森林に覆われていたり、ザレた砂や岩、溶岩石の山があったり、知っている限りでも様々な特色を持った山がある。

それぞれに魅力があり、それぞれに危険がある。どれが好き、と言うのはないが、こうであったら嬉しいな。なんて思うポイントはあったりする。

真面目に登山を嗜んでいる方からしたら鼻につくかもしれない。願わくば、真面目に登山を趣味とする人の中にはこんな人間もいる、ということだけわかってほしい。

「登り甲斐」は要らない

小一時間で山頂まで辿り着く山もあれば、終始急登、キツい想いを経て辿り着く山、何泊もしながら歩き続けなければ辿り着けない山もある。
そんな中でも私は、簡単に壮大な景色に辿り着く山、「初心者向けの山」が好きだ。

その好きという気持ちの大半であり根源であるものが、「楽をしたい」

これ。

もう、ほぼこれだけ。

達成感とか要らん。

キツい想いは少ないほうがいい。

それ以外の細かな理由は仕事においても言えることで、かなり類似してくるんだけど、
なにを目的として、アクションを起こすか。そのアクションの過程を云々………と。
堅苦しい仕事の話なんぞこんなところでしたくないので割愛しますが、いわゆるそういうこと。


そこに山があるから、なんて一体全体どういうことだい?

まず、そこに山なんてない。

だから、よく言われる

Q.「なんで山に登るんだい?」

A.「そこに山があるから」

なんて返し言葉は淘汰したい。

関東平野の東側に住む私には、山なんか身近ではない。"そこ"に なんてないのだ。
わざわざ遠い道のりを経て、山に登る目的をしっかり持って、念入りな準備をして、覚悟をして向かう。
向かう為に、ここ(千葉県)、自宅での発起がなければ到底山なんぞ登らない。
モノ好きな人間が何かしらの理由をこぎつけ目的とし、山に"存在しに行く行為"に対して懐疑的にはなりたくない。

だって山に存在していたいのだもの。

私は、山そのもののどこかしらに存在さえしていればいい。
極端な話、登頂をもしなくたって良い。
人工物が限りなく少ない大自然の空間では何をしても幸福になれる体質だということに気付いた。
これはそれまで夢中になっていたキャンプと類似する。


澄んだ空気の中、気持ちがいい気候の元、少しだけほんの少しだけキツい思いを経て辿り着いた山頂から壮大な景色を見たときに、幸せが訪れる。
山頂での幸福までに最短で辿り着きたい。勿論楽をして。

山頂を目指す中で、気のしれたBuddyと他愛もない話をしながら、登り進める過程の時間でも幸せは訪れる。
他愛のない話をしながら登り進めるには、キツくない山がいい。

登山口に着き、入山をした瞬間のワクワクしたときにも訪れる。
それまでの過程にキツい想いは全くない。強いて言うならば早寝早起き、深夜の高速路。ただただこれから訪れるもっと壮大な幸福の序章だ。


結局の所、やっぱり私は欲望のままに行きたい、ということなのかもしれないなぁ。

欲望の目的である"幸福"までの過程で楽をしたいんだよね。
ダラダラと書き綴っていくうちにそういう答えに辿り着いた。



私は限りなく楽に、数ある工程の中で最短ならぬ最楽で山に登りたい。

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