頂き女子りりちゃん

 「頂き女子りりちゃん」はシャバにいるときから言動、行動が面白くて、彼女の配信を見たりTwitterを追いかけたりしていた。少しでも歌舞伎町で遊んだことがあったり、Twitterで風俗嬢界隈をウォッチングしていた人なら、りりちゃんの名を知らない人は珍しいだろう。りりちゃんはごく狭い界隈において有名人だった。

 そもそも人がなぜホスト狂いになるのか。本質的に自分とは関係ない、他人の売上という意味のない数字のために必死になり股を開いてまで働くのかといえば、「自分のために生きる」「自分自身に生き甲斐を見出す」ことができないからホスト狂いになるのだと私は思っている。裁判という場において、裁判官も検察官も弁護士もみな「社会に適合した人」であるから、この観念を理解している人は誰もいないだろう。本気で「私は将来担当くんと結婚するから結婚するためにお金を使ってるんだ!」とほざくバカでもない限り、心のどこかでホスト狂いはみな「この行為は自分にとって無意味だ」と理解している。それでも一時的な心の安息とか、承認欲求を満たせるからホストに狂うのだ。
 りりちゃんはあまりにも有名になりすぎたし、マニュアルを売ったことで詐欺を広めたので、罪に問われるのは仕方がないし、詐欺は犯罪なので法のもとで裁かれてしかるべきなのだが、はっきりと動機がホストであると判明しているこの事件の場合の「更生」とはいったいなんなのだろうか?という話になってくる。
 別にりりちゃんを擁護するわけではないのだが、たとえば「自分が豪華な生活をしたくて詐欺をした」「窃盗をした」「自分が快楽を得たくて薬物をした」のであれば刑務所に入って改心することに意味はあるだろう。だが、ホスト狂いはぜんぜん自分にとってメリットがない。内心なんのメリットもないとわかってはいるが、一時的にホストに良いと思ってもらいたいから(しかもそれはだいたい嘘である)(嘘だと薄々気づいている)お金を貢ぐのである。りりちゃんはホストにされていたことを「おぢ」にアップデートして提供していただけなので、「私は一時的な甘い言葉のために大金を使っているのだから、おぢも一時的な甘い言葉のために大金を使いなさい」というロジックで動いているのではないかと私は傍観しながら考えていた。そういうロジックの上で起きた犯罪なので、刑務所に入れたからといってりりちゃんの底無しの「承認欲求」「低い自己肯定感」が変わるわけではない。もちろんここ日本は法治国家なので、立派な詐欺犯であるりりちゃんを処罰するべきではあるのだが、一応刑務所に入れるというのは建前上「更生を目指す」ということになっているので、彼女の「更生」のゴールはどこに設定されるのだろうか? と疑問になってしまった。
 シャバにいる頃からりりちゃんをウォッチングしていた感想としては、ものすごく言葉の才能はあるし周りに人も集まってくるが、どう考えても社会に適応するのは無理だろう、と思っていた。りりちゃんは独自の世界観、独自の宇宙のようなところで生きていて、こう言っては悪いが常識みたいなものは全然ない。おそらく刑事施設の言うところの「更生」というのは、真っ当な昼の仕事に就き、真っ当に暮らしなさいということなんだろうけど、りりちゃんみたいな人はどうやって生きていったらいいのだろう。りりちゃんに「普通の人になりなさい」というのは、少々酷な気がする。

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