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対話型模擬授業検討会

「模擬授業」とは、学生や若手教師などが「子ども役」を相手に授業を行うものだ。

 そして、その後の検討会は、
・授業者の自評
・授業者に対する質疑応答
・意見交換
・指導教員による講評
 という順に進められるのが一般的だろう。

 しかし、東京学芸大学教職大学院の総合教育実践プログラムで行われている「対話型模擬授業検討会」は、こうした従来型の検討会とは大きく異なっている。

 この「対話型模擬授業検討会」の詳細について知りたい方は、下記のリンクから資料を見ていただきたい。
https://jsste.jp/files/9415/5317/1283/web.pdf

 ・・・従来型検討会と対話型検討会の主な違いをこの資料から引用させてもらうと、次のようになる。

https://jsste.jp/files/9415/5317/1283/web.pdf

 総合教育実践プログラムの今年度の1年生(M1)も、年度当初から定期的にこの「対話型模擬授業検討会」に取り組んできたが、先週末(2月2日)にその交流会があった。

 これは、約20名のM1が4つのグループに分かれ、それぞれが実際に「対話型模擬授業検討会」を実施し、その様子を学内外の参観者に公開するというものだ。

《時程は4グループ共通》
16:45〜16:55(10分間) 「対話型模擬授業検討会」についての説明
16:55〜17:15(20分間)  模擬授業
17:15〜17:45(30分間) 「対話型模擬授業検討会」
17:45〜18:15(25分間)  振り返り

「対話型模擬授業検討会」の特徴の一つは、話し合いに際してファシリテーター役を置かないことである。

 ただし、記録を担当する者がおり、参加者の発言を授業者・学習者それぞれの「望んでいたこと」「行ったこと」「考えていたこと」「感じていたこと」に分類して黒板やホワイトボードに記入していくのだ。

 検討会は、話し合いというよりも参加者による「独白」が続くかのように淡々と進んでいくことが多い。

 学内からこの交流会に参加していた修士2年(M2)の院生の言葉を借りれば、検討会の参加者たちは自らの気づきを「場に置いて」いるのである。

 コルトハーヘンは、実践の省察の深まりについて示したALACTモデルの中で、「本質的な諸相への気づき」(第3局面)の重要性を唱えている。

 お互いの考えをすぐにぶつけ合うのではなく、一旦「場に置いて」いくことは、この第3局面に相当するのだろう。

https://jsste.jp/files/9415/5317/1283/web.pdf

 今回の交流会に参加してみて、「対話型模擬授業検討会」について改めて感じたことや考えたことを記しておきたい。

 1つ目は、「対話型」の検討会が、授業者も含めた参加者にとって「心理的安全性」が担保された居心地のよい場だったということである。

 学校の授業研究会に伴って行われる事後検討会は、
・授業(者)に対する批判をする場
・(職場の人間関係などによっては)本音を言い合えない場
・講師やベテラン教諭などに忖度をする場
 などになりがちである。

 要するに、「心理的安全性」がない場であることが多い。

 それに比べてこの「対話型」の検討会は、実に「フラット」な場だと感じた。

 しかし、年度当初に行われていたM1の検討会を思い返してみると、それはかならずしも「フラット」ではなかったと思う。結論を急ぎすぎたり、一人が喋りすぎたりしていたように記憶している。

 おそらく、検討会の回数を重ねることにより、徐々にこうした「フラット」で「心理的安全性」のある場がつくりあげられていったのだろう。

 そして、年間を通して「対話型」の検討会を行うことにより、M1同士の絆も強いものになっていったのではないかと思う。

 ・・・2つ目は、「授業者」だけではなく「学習者」の視点を含めた話し合いが行われていることも、一般的な検討会との大きな違いだということだ。

 近年は中学校や高校の授業研究会の際、事後検討会に「学習者」である生徒の代表が参加するケースが見られるようになってきている。しかし、まだまだそれは少数派だろう。

「授業について語り合う場なのに、一般的な検討会には当事者である『学習者』の姿が見当たらない。よく考えてみれば、それはとても奇妙なことだ」
 ということを改めて感じた次第である。

 ・・・3つ目は、場が「フラット」であり、ファシリテーターがいないことに由来する課題である。

 たしかに、ファシリテーターが話し合いを特定の方向に誘導してしまったり、参加者がファシリテーターに依存してしまったりするなど、その存在が「フラット」な場づくりを阻害することもある。

 だが、今回の検討会では、ファシリテーターが不在であることにより、話し合いが膠着状態になる場面も見られた。

 そんなときには、誰かが全体を俯瞰して、
「一度、ホワイトボードの内容を読み直してみようよ」
 などと、ときには「参加者」自身がファシリテーターの役を兼ねる必要もあるのだろう。

 言い換えれば、話し合いにおいては全員が「参加者」兼「ファシリテーター」であるべきなのかもしれない。


 今後の私自身の課題は、これから関わる授業研究会等で「対話型」の検討会のよさを紹介したり、実際に取り入れたりしていくことだと思っている。

 また、若い院生たちが実際に教壇に立ったとき、その学校の職員室がお互いの気づきを自由に表出できるような「フラット」な場であることを願う。まずは、私にとって身近な学校の職員集団から啓発をしていきたいと思う。

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