たかが言葉、されど言葉
その組織や業界の中で使われる隠語というものがある。
たとえば、警察関係者が使う、
叩き=強盗
ガサ入れ=家宅捜査
などはその代表的な例だろう。
学校教育の分野にも隠語がある。
特に、人事の担当者がこうした言葉を使うことが多いように思う。
私が勤めていた自治体の人事担当者が使う隠語の中に、「貼る」とか「剥がす」という言葉があった。
これらは、
貼る=教職員を配置する、人員を増やす
剥がす=教職員を他に異動させる、人員を減らす
という意味である。
かつて、年度末に市全体の人事異動の計画を立てる際、市内の学校名や職名などが記された大きな表に、異動候補者の名前が書かれた小さな紙を貼ったり剥がしたりして作業をしていたことが由来になっているようだ。
人事異動というものは、当該の教職員にとっての一大イベントである。その後の人生を大きく左右する場合もあるだろう。
それを、まるで紙切れのように「貼る」とか「剥がす」とか言うのはいかがなものかと思う。
もっとも、人事行政に詳しい人に言わせると、
「人事配置について考えるときに自分の感情を持ち込むと、公正な判断ができなくなってしまう。物を扱うようにドライな対応をすることが必要なのだ」
ということらしい。
それは理解できなくもない。
だが、こういう言葉を使うことについてどう思うかといえば、少なくとも私は嫌いだけどね。
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