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「食べるラー油」と「稼げる大学」と「ナタデココ」

 2000年代後半にブームとなったのが「食べるラー油」である。

 本来のラー油は、ギョウザなどの中華料理を食べるとき、醤油などに少量を垂らして使う調味料である。

 しかし、固形物を多くしたラー油が「具材として食べることができる商品」として売り出されると、たちまち大ブームとなったのだ。

「調味料だと思っていたラー油が食べ物なのか⁉︎」
 という驚きもさることながら、
「食べるラー油」
 というネーミングが、そのブームに一役買っていたことは間違いないだろう。

「食べる」と「ラー油」という、それまでは無縁同士だった言葉が結びついたことによるインパクトは強烈だったのだ。


 近年、この「食べるラー油」に匹敵するようなインパクトのある言葉といえば、「稼げる大学」かもしれない。

「稼ぐ」ことと「大学」とは、少なくとも一昔前までは無縁同士のものだったと思う。

 この「稼げる大学」こと「国際卓越研究大学」の構想は、世界的規模の研究成果が期待できる大学に対して、国が「選択と集中」によって全面的なバックアップをしようとするものだ。

 しかしながら、この構想に対しては、
・「国際卓越研究大学」以外の大学の切り捨て
・「儲け」にならない研究の軽視
・大学に対する政治の介入
 などにつながることを懸念する声が根強い。

 そもそも、「稼げる」研究かどうかを見極めることなど、本当にできるのだろうか? さしずめ、「データサイエンス」などが「稼げる」研究に相当するのだろう。けれども、10年後・20年後・・・のことなど誰にもわからないのだ。

 たとえば、昨年のノーベル生理学・医学賞の受賞者であるカタリン・カリコ氏の研究成果は、発表当初にはほとんど注目をされなかった。ところが、新型コロナウイルスのワクチン開発への有効性が高いことが明らかになると、一躍「大化け」をしたのである。

 地味な基礎研究や人文研究などを「稼げない」と言い切ることなど、本当は誰にもできないはずなのだ。


 1990年代の日本で、ココナッツを原料とした「ナタデココ」が大ブームになったことがあった。原産地のフィリピンでは、いわゆる「ナタデココ長者」を夢見た農家が、熱帯雨林を伐採してココナッツの栽培を大々的に試みたという。

 しかし、日本での「ナタデココ」人気は一過性のものだった。ブームが去った後のフィリピンには、熱帯雨林を伐採したことによる環境問題と、ココナッツの栽培に投資した農家の貧困問題が残された。

 ・・・全国の大学に設置されたり、これから新設されようとしている「データサイエンス学部」が、10年後・20年後には「放置されたココナッツ畑」のようになっている可能性だってゼロではない。

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