3つの「間」
これまでにも書いてきたように、教職大学院には2つのタイプの院生が在籍している。
1つ目は、大学を卒業してそのまま教職大学院に進学してきた院生たちで、「ストレート・マスター」や「学卒」と呼ばれる(一旦、教職以外の仕事に就いた後に教職大学院に入学してきた院生も「学卒」の扱いになる)。
2つ目は、現職の教員が教職大学院で学ぶ場合だ。「学卒」との対比で「現職」と呼ばれることが多い。
今月から、私が担当するプログラムの「M1(学卒の1年生)」のうち、小学校の教師を志望するメンバーが自主的に勉強会を開いている。参加者は、毎回10名前後だ。
この勉強会は毎週火曜日の午後に2時間半ほど開催されており、今日がその3回目だった。
今回を含めた3回の内容は、いずれも模擬授業だ。といっても、「指導案を書く必要はない」「昼食をとりながら参加するのもOK」という「ゆるさ」が特徴である。
毎回、交代で誰かが教師役になり、40分程度の模擬授業を行う。他の院生たちは子どもの役だ。その後、授業者を囲んで30分ほどの振り返りをする。
これを1日に2セット行うのだが、学校の授業研究会のような堅苦しさとは無縁で、模擬授業や振り返りの際には笑い声が絶えない。
この自主的な勉強会には、オブザーバーとして「現職」の院生や私のような大学の教員なども参加している。
しかし、けっして指導や助言をするわけではない。あくまでも「参加者の一人」としてその場に加わることが、暗黙の了解事項になっているのだ。
こうした自主的な勉強会がスタートし、すでに何回か続いているのには、2つの理由があると思う。
一つは、「学卒」の院生たちに必要感や切実感があるからだろう。彼らの多くはすでに教員採用試験に合格し、1年と少しが経てば教壇に立つことになる(教職大学院に在学している間は、採用の猶予期間になっているのだ)。
モラトリアムにある間に、擬似的ながらも授業の経験を積んでおきたいという思いがあるのだろう。
もう一つの理由は、教職大学院で学んだことを模擬授業で試してみたり、お互いの授業を見て語り合ったりすることが単純に楽しいからだろう。
まるで、サークル活動のようなノリでやっているようにも見えるのだ。
子どもたちの成長には、3つの「間」が必要だと言われている。
それらは次の3つだ。
この3つの「間」があれば、たしかに子どもたちは自ら活動し、社会性や体力をはじめとする多くのことを身につけていくことだろう。
これになぞらえれば、「学卒」の院生たちにも、学ぶための3つの「間」があると言えるのではないだろうか。
たとえば、授業やアルバイトなどがあるとはいえ、社会人に比べれば自由になる「時間」がたくさんある。
また、講義室や学習室などの「空間」も、ある程度は自由に使うことが可能だ。
そして何よりも、同じような目的をもち、気心が知れた「仲間」がいるのだ。
本来は現職の教師たちにも、こうした学びの場があるべきだろう。
だが、「仲間」や「空間」はあるとしても、「時間」がないというのが実情なのだろう。残念である。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?