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「フラットな関係」

 昨日、教職大学院の「カリキュラムデザイン・授業研究I・Ⅱ」の授業があった。その前半で、現職院生(教職大学院で学んでいる現職教員)たちは「話し合いの作法」(中原淳著)をテキストにしてディスカッションをした。
 ディスカッションのテーマとして取り上げたのは、テキストの第3章に記されている「対話の8つの要素」である。

1.対話とは「ケリのついていないテーマ」のもとでの話し合いである
2.対話とは「人が向き合って言葉を交わす風景」である
3.対話には「フラットな関係」がよく似合う
4.対話では「自分」を持ち寄る
5.対話では「お互いのズレ」を探り合う
6.対話とは「今、ここ」を生きることである
7.対話では「自分を疑い、他者に気づく」
8.対話は「共通理解」をつくりあげる

中原淳「話し合いの作法」(PHPビジネス新書)133-134ページ

 この8つの要素のうち、現職院生たちが特にこだわったのは、3番目の
「対話には『フラットな関係』がよく似合う」
 
だった。

 たとえば、
「現任校では、自由に発言できるような『心理的安全性』が担保されていない。当然、『フラットな関係』にもなっていない」
「校長、教務主任など、職位や校務分掌が『フラット』ではない以上、職員室での話し合いを『フラット』なものにすることは難しいのではないか」
 という現実的かつ切実な問題に関する意見が出された。

 あるいは、
「この本には、話し合いの中での『ファシリテーション』の重要性ついて書かれていたが、話し合いを一段高いところから俯瞰する『ファシリテーター』が存在していること自体で、『フラットな関係』とは呼べなくなってしまうのではないか」
 という疑問を呈する声もあった。

 また、
「168ページには、リーダーの何気ない『いいね』という一言が『フラットな関係』を壊す、と書かれていた。これを自分自身の授業に置き換えて考えてみると、子どもの発言に対して『いいね』『すごい』などと返すことが癖になっていたように思う。もしかすると、それによって子どものたちの発言にブレーキをかけたり、無意識のうちに方向づけをしたりしていたのかもしれない」
 と、これまでの自らの授業について省みる発言もあった。

 ・・・一応、最後には、
「できる、できないは別として、『フラットな関係』での話し合いを目指していくことが大切。グループの中に1人でもそれを意識している者がいれば、話し合いの質は変わっていくはず」
「1人のファシリテーターに任せるのではなく、参加者全員が『ファシリテーターの視点」をもって話し合いをすれば理想的なのではないか」
 ということで落ち着いたようである。


 ところで、教職大学院には現職院生の他に、大学を卒業後にそのまま教職大学院に進学してきた「学卒(ストレート・マスター)」の院生も在籍している。「カリキュラムデザイン・授業研究I・Ⅱ」の履修者の場合、およそ1対2の割合で学卒院生の方が多数派である。
 この授業では、現職と学卒が合同で学ぶ場面もあるし、別々のプログラムで学ぶ機会も用意されている。昨日も、3限は別々、4限は合同で授業を行った。
 幸いなことに、今年度の現職9名は謙虚に学ぼうとしている院生たちばかりなので、学卒院生に対して偉そうに接するようなことは皆無である。いわゆる「高校の部活に時々顔を出す嫌な先輩」のようなタイプは見当たらない。
 しかし、そうであっても学卒院生の側に遠慮がまったくないかと言えば、そうとは言い切れないだろう。特に、現時点での修士1年(M1)の学卒院生にとって、実際に学校現場と関わった経験は教育実習やボランティア活動ぐらいだろう。もしも、話し合いの中で現職の院生から、
「私の経験では・・・」
「実際の学校では・・・」
 と言われてしまうと、本音を言いづらくなってしまうこともあるかもしれない。そうなると、それは「フラットな関係」とは呼べなくなってしまう。
 けれども学卒院生たちには、現職院生からはその経験が邪魔をして見えづらくなっているものが見えていたり、現職院生が持ち合わせていない新しいものの見方・考え方があったりするのだと思う。逆に、現職院生が学ばせてもらうことも少なくないはずなのだ。

 せっかく現職と学卒の院生が一緒に学んでいるのだから、お互いに「フラットな関係」で学び合い、高め合っていってほしい。このことは、折に触れて双方の院生たちにも伝えていきたいと考えている。

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