見出し画像

それぞれの花

ねそべり配信で過ぎていく日曜日午後。
久しぶりにネット上で、風さんを好きな人たちの声も感じて、心があったかくなるひとときだった。
ついでにYouTubeで「花」をじっくり聴いたりした。

今年の春くらいから、国内のライブに行った後からTwitter(昨年末に風さん自身がアカウント削除。自分は国内の風さんのライブ後に徐々にフェイドアウト)も、Instagram(これはインテリアとかの投稿を今も楽しんでる)も、TikTok(←もともと見たことがない)も見ていない。いろんな情報やキツイ言葉が飛び交うのを目にすることで、得るものがないどころか、失うものの方が大きいと感じたから。

いい機会だったと今は思う。見なくていい情報をシャットアウトすることって本当に大事だとわかった。ネガティブな情報を執拗に流す様からは、「執着」という言葉を思わざるを得なかった。

コロナ禍の少し前から、それまでこだわっていたことを少しずつ手放そうとし始めていたところで藤井風さんの曲に出会った。そして、手放しがかなり進んだ頃の、飛び交ったネガティブな情報。藤井風さんの曲さえ聴けなくなる、手放さざるを得なくなる、そんな気もした。

「花」を演奏している本人、コメントで喜びを伝える人たち。それぞれの思いの花が咲いていた。

音楽も、言葉も、人の心に水やりをしてくれるものとして、ともに生きたい。

誰もが一人
全ては一つ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?