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おおきな ものほど つよいものほど やさしさを

権力、能力などなど大きくて強いものを持っている人は、それ相応の責任も同時に背負っている。

日常的に車を運転している。
私の車は軽自動車じゃないのだけれど、大きい車にして思ったのは「あれ、煽られることが減る気がする」というものだった。それは他の人も言っていて、軽自動車だと「早く行け」という圧力を感じるときがあるのだ。交通マナーのいい地域でないからだろうか。

朝 交通当番をして、小中学生が安全に道を渡れるように旗を振ってきた、という知人が出勤してくると「みんな横断歩道で止まってくれないのよね」と言う。
車中心の社会とは、よく言われることだが、あまりに勝手な振る舞いが目に付く。
歩行者にとって、車は大きくて、すごいスピードで走ってくる、鉄の塊なのだ。

車同士でも、「大きい」「小さい」がある。
ある店に入るために右折しようと、対向車線の流れが途切れるのを待っていると、大きなトラックの運転手さんは、かなりの高い確率で道を譲ってくださる。嬉しかったり、ほっとしたり。ありがとうございますって思う。
大きい車の人がそういうことをすると、それは周りによい影響を及ぼすなあと思う。

逆に、大きい車が後ろにぴったりついてきたり、煽ってきたりすると、心底恐い。それに、みっともない、見苦しい。大きな車は、自分の存在が他者に威圧感を与えることをもっと自覚してほしいなと思う。

大きいもの、とは、「自分はこんなにすごいんだ」って言える存在ではないと思っている。自己顕示するための力ではない。
逆に、持っている力を使って、他者を助ける意識が大事だ。そのことで救われる人がいて、そして、周りの人の行動も変える。コミュニティを変える力を持つのだ。
優しさと名付けられる行動で、世界を少しよくする、そういうことを、
大きなものを持っている、強い者だからからこそできる、そう考えてみたい。

仕事で権利、とりわけ人権関係の研修をしている知人が伝えることのひとつに、「がんばるべきなのは、被害を被った人の方ではない。その人たちは既にがんばって、疲弊している。『困っていない人』こそ、勉強しなければ、状況は変わらない」があるそうだ。

力を持つ者の背負う責任、と考えると 重たく感じるが、力を使うとは、優しさを広げることだ、と思う人が少しずつ増えていくと、その重たさも、分け合っていける、よね。

強い人の、優しさは かっこいいし、尊い。

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