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【暮らしを、人生を支えるもの】愛のある言葉


「おつかれさまです。よかったら、これどうぞ」って渡されたクッキーとか、「昨日はありがとう。ほんの気持ちです」って渡されたチョコレートとか、そういうもので、私の心とおなかは満たされた一年間だった。

noteで言葉をつづり始めた目的が「自分の心を立て直す」ことだったので、重い内容がどうしても多くなっていて、「いいことにもっと目を向けることができればよかったのに」と思わないでもないけれど、それでも自分が受けた大きいダメージを、直視しないまま次に進むことはできなかったと思う。見ないふりをしない方がいいこと、というのがあるのだ。見ないふりをしなかったからこそ、大切なものに気づけたりもするのだし。

言葉は、その言葉を使う個人の人生、価値観、そして、その言葉が使われるコミュニティや文化を背負ったものだ。
どんな言葉を、どんなふうに使うのかということは、その人が背負っているものを表すということでもある。

「よくがんばったね」「おつかれさまです」とかいった言葉を、「今だ」というタイミングで言うことができる人は、きちんと人のことを見ているのだ。愛をもって、他人のことを見ているということ。

また、他人の言葉をどのように扱うか、ということも、その人の生き方を反映する。
人の言葉を聞いているようで、持論を展開するだけの人。自分の思いは声高に言うけれど、他人とのやりとりから生まれるものなんて ちっとも求めていない人。
一方で、誰かが言った言葉を「それいいね。私もやってみよう」「なるほど。私はこう思うけど、どうだろう」「あなたが言うこれと、私の思うこれは重なっているところがあるね」と言える人。

どちらが世界を広げることができるか。


言葉とは、その人だけのものではない。それをどう使うかで、世界を広げることもできれば、狭くしてしまうこともできるものだ。
世界を広げるような言葉が使われているとき、そこには、愛がある。他者を真に尊重しようという思いがある。

愛のある言葉にたくさんであい、また自らも愛のある言葉を口にすることができるような、そんな日々を重ねていきたいと思う。


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