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本当に選択したことは書かない

ネット上で自分のことや家族のことをたくさん書き込んでいるのを見る一方で、絶対にSNSをしない人もいる。

プライベートなことをたくさん書いて どうするんだろうと知人が言っていた。SNSをしない人である。プライベートなことはプライベートな領域で誰かと共有していればいいのではないかと。そんなに「自分は幸せだ」とアピールしたいのかと不思議がっていた。その人は SNS上でも、リアルな世界でも 自分のことを他人に言う必要はないんだけどねとも言っていた。

以前、宝くじで大金を手に入れた人が、周囲のごく限られた人にしかそのことを言わなかったけど、あっという間に その人の生活が根底から崩れたというような話も聞いたっけ。自分のことは言わないに限るね、と その話題が出たとき誰かが言っていた。

では、自分の思いを誰とも共有できないのか。なんと寂しいことだろう。


果たしてそうなのか。
案外、共感や同じ何かの共有って、言語化しにくい、ある瞬間に訪れているように思う。それを捉えることができれば、あるいは捉えることができる感性を養うことができれば、世界が違って見えるのでは?

そのためには、些細なサインを感受するべく 日常を生きることだ。食事の美味しさ。ふと頬に触れる風の優しさ。なんか、前述したことと矛盾するようだけど、ときにそれを言葉にすること。それを受け止めてくれる人は誰?

私があなたの運命の人ですよ、なんていうふうにキーパーソンがやってくるわけ、ないのだ。

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