マイフェイバリットフーズ/食でたどる70年第31回「金山寺味噌」

私が金山寺味噌を美味しいと思いはじめたのは、60歳を過ぎてからだ。昔から中に漬け込まれている「白うり」は好きだったが、年齢を取るにつれ味噌そのものを美味しく感じるようになった。
最近、凝っているのは初夏の露地栽培のキュウリを間引いたどどりのものを、金山寺味噌で食べることだ。キュウリは割と青臭い野菜だが、若どりキュウリは、よりいっそう青臭い。それを金山寺味噌を絡めて食べると、その青臭さが消え、さわやかさが口いっぱいに広がる。
それと、いわゆる「冷や」の日本酒を合わせると絶妙。ちなみに最近間違われることも多いが「冷や」とは常温の日本酒のこと。5月ごろの初夏の季節は、真夏のように座っているだけで汗が流れることもないので、日本酒も冷酒よりは「冷や」のほうがおいしいと思う。気温と同じ温度の日本酒を飲む方が健康的ではないかと思う。
お手頃価格の純米酒と若どりキュウリの一人飲みは、自分で「旨い」と感心するだけなの、寂しいといえば寂しいが、これもまた酒飲みの醍醐味だ。金山寺味噌をつけると、普通の味噌やマヨネーズよりも、味が深くなるので満足度は高いが、これにちくわでもあれば、食べ合わせたときの味がさらに複雑になる。こういう組み合わせは、日本酒がすっとのどを通るから不思議だ。

金山寺味噌は父親の味

金山寺味噌の味が分かるようになって思い出すのは父親のこと。私が生まれたのは昭和27年だが、当時にすると私は父親にとって晩年の子どもになる。父親はその時45歳。今では、そんなに晩年という気はしないが、そのころの平均余命は男性で60歳なので、「この子が成人するまで生きられるかどうか」と思いながら生む決心をしたものだとよく聞かされて育った。
しかし、結局父親は私が29歳、父親が73歳まで生き、初孫の顔を見る直前に亡くなった。当然、最晩年は私は東京で働いていたので、せいぜい夏休みに帰省するぐらいで、一緒に食事をすることもなかった。
よく、父親の作った食事を食べたのは、就職まえで父親が65,6歳、私がまだ大学生の頃だ。私の学資を稼ぐために母親が近くの旅館でお運びさんをしていたので、夕食は父が魚を焼いたりしてくれた。その時、おかずが足りないと、金山寺味噌で最後のご飯を食べているのを見て、「なんとジジくさい」と思っていた。
おそらく、一人で食事をするときも、ご飯だけ炊き、おかずを用意するのは面倒くさいと金山寺味噌で済ませていたことも多かったのではないかと思う。しかし、考えてみれば、金山寺味噌は炒った大豆に麹を合わせ、ウリ、ナス、ショウガ、シソなどを加えて3か月ほど熟成させた保存食であり、栄養素のバランスは良かったのかもしれない。もともと、粗食を旨とする禅寺の保存食の金山寺味噌が、晩年の父親の命をつないでいたようだ。


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