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水とともに暮らす


 父が、本を作ろうとしている。

 父の本家には、江戸時代に書かれた古文書がある。父は自分がいなくなる前に、古文書を解読し、それをまとめて本にしたいと言い出した。田んぼの仕事を手放して、もう5年ほど経つ。そのことも関係がありそうだ。

 本家から古文書を借り、父の知人に解読してもらって、ご先祖さまの様子がかなりはっきりとわかってきた。

 父の作る本は、古文書から推測されるご先祖さまのこと、亡くなった家族への想いと、子孫に伝えたいことから、なる。

 パソコン作業の一部を息子が担当、わたしもサポートをしているが、父はなるべく自分の手でやりたいようだ。思ったよりも大変で、難航しているが、少しずつ形になってきた。けれど、このところ父は、本作りの心労から体調を崩し、後少しがなかなか進まない…

 楽しそうというより、苦しさが伝わってくる。どうしたらいいのか、わたしにもわからない。やめるという選択が、父にはない。だから、最後まで一緒に作り上げようと思う。


 わたしのご先祖さまは、長島の一向一揆で織田信長に敗れ、逃げてこの地にやってきた。そのときに武士の身分から、農民になる。後に改宗し、その後苗字も変わった。

 沼地を苦労して開墾し、今の集落を作り上げたのが江戸時代初期のこと。それからは、飢饉にみまわれて、役所に救済を願い出たり、地主から小作になったり、明治時代には生活のために漢方薬を作り、売ったりもしていたらしい。

 家が建っている集落は比較的土地が高い場所にまとめてあり、中心には氏神さまをまつるお宮さま、周りの土地が低い場所には田んぼが作られている。畑もちらほらとある。しきたりがあり、昔からの行事もあり、住民同士の距離も近い。親戚はすぐ近くに住んでいて、協力して農作業をする。

 元沼地だからか、周りの水はうちの集落目がけてやってくる。昔から水には苦労したらしい。わたしは水嵩がすねまである、田んぼしか知らないが、それでも泥がぬめって、とても歩きにくく、歩くだけでもたいそう疲れた。昔は田んぼが深く、水嵩が腰まであるときもあったそうだから、その時代の田植えは想像以上に辛かっただろう。

 田植え機がなかった昭和時代。一反(面積は約991.7平方メートル)の田んぼに苗を植えるのに、家族総出でも日の出から日の入りまで、丸一日がかりだったそうだ。「そりゃあ、大変だったにぃ〜」と、80半ばの伯父が話してくれた。

 日頃から川の管理も必要だった。まだ、川が整備されていない時代は、田植え前に「川ざらえ」をして、川の流れを保っていたそうだ。住民総出で、川に入り、生えている葦などを刈る作業。それって、疲れるに決まってる。そんな過酷な農作業ばかりで、ここに住む男性は近年でも50才までは生きられなかったと聞いている。

 今も、用水路の掃除を村全体で協力しておこなう。名称は、「川ざらえ」のまま。枯れた用水路のごみを拾い、乾いた泥をスコップですくう。それは、田んぼを持つ人だけでなく、集落全体を守ることになる。


 今も水害が怖い。

 わたしが記憶するだけでも、3回は見渡す限り家のまわりが水で埋まっている。家から見える小川から田んぼ、目の前の畑まで、水、水、水。波打つ泥水が広がった。うちから歩いて、ほんの5分先には、水は来ていなかった。とても理不尽に感じる。

 2000年の東海豪雨のときは、床下浸水まで後5センチまで水が迫った。水が引くと、魚たちが取り残されていて、なんとも言えない気持ちになった。

 昔から家を建てるときは60センチ、二尺分地面から嵩上げしてつくるようにいわれ続けている。これをみんなで大事に守っている。だから、東海豪雨では、被害を受けた家はなかった。

 このところの異常気象から、大雨が日本各地で増えてきている。その上、去年からうちの周りの田んぼが埋め立てられ、大規模な倉庫の建設が進む。

 恐竜のようなクレーンが10台以上、毎日作業している。うちから眺める景色が、がらりと変わってしまった。それを見るたび、胸が苦しくなる。

 田んぼは大きな水がめだ。それがなくなるとなると、水はどうなるのだろうか。土と違って、アスファルトは水を吸わない。そうして、どうしたって水は低いところに溜まるのだ。倉庫の地下には貯水池が作られる予定だし、川の排水ポンプも進化はしている。それでもやはり心配になる。

 本当は、田んぼを手放したわたしが言うことではないかもしれない。わたしも父ほどではないが、後悔もさみしさも申し訳なさも感じている。

 けれど、最近、自分がご先祖さまだったら…と考えるきっかけをもらった。わたしなら、子孫が楽しく、できたら元気で暮らしてくれていたら、もうそれだけでいいと思える。だから、そんなにわたしも申し訳なく感じなくてもいいかもしれない。ちょっと、気持ちが楽になった。畑は細々と続けていくから、見守っていてください。

 わたしは、自分が生まれたこの場所が大好きだ。

 空が広い。冬、空気が澄んでいるときには、遠くの山々が見渡せる。見渡す限り平らで、川が多い。実家にというより、この土地に愛着がある。水とうまく付き合いながら、ここで暮らし続けたい。

 ふと、考えた。毎年、やってきていた鳥たちは、今年どこで子育てをするんだろう。田んぼに住んでいたあの魚や亀は、どうなったんだろう。

 倉庫の建設現場を眺めながら、今のわたしにできることはなんだろうと考えている。


3/11
追記…渡鳥のシギたち→鳥たち
に修正しました。シギの仲間ではなく、チドリ目のケリという鳥でした。確認不足で、申し訳ありません。以後、気をつけます!



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