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父とふたりで


 父とふたりで、病院へ行き、帰りにお茶をした。

 そういえば、父とこうやってふたりで出かけたのは、いつぶりだろうか。いつもは、母もいて、3人だ。

 時刻は、10時すぎ。揃って、モーニングを頼む。ホットコーヒーに、サンドイッチとサラダ、ミニプリンが付いてきた。プリンに、心弾む。

 コーヒーを飲みながら、向かい合って座る父の顔を、まじまじと見る。皺の少ない張りのある肌は、農作業をするため、日に焼けている。垂れ目で、にこにこ、温和なおじいちゃん。80才は目の前だ。昔は、ゲンコツを振り回す、怖い怖い存在だったが、人は変わるものなのだな。

 本当は、母も来るはずだったが、また父と喧嘩をしたらしい。仲を取り持つことは、あきらめている。父の視点から見たら、父の肩を持ちたくなるし、母の視点から見たら、母の肩を持ちたくなる。また、どちらの肩を持っても、それで喧嘩になるのだ。だから、わたしは中立。話をきくだけ。しばらくしたら、また元通りになるだろう。

 父は、母のことを少し愚痴ってから、友人のことを話し始めた。もう、何人かの方は亡くなってみえる。それがさみしいし、今のうちに何でもやっておかなければと焦ると言う。

 父は、印象深いことは事細かに覚えている。話を聞いているわたしまで、一緒に体験しているかのようだ。よく覚えているなぁ。それに、父は話すのが上手い。そういえば、印象深いことを、事細かに覚えているのは、わたしも一緒だ。

 昔から、わたしは顔や雰囲気が、父によく似ていると、周りから言われて育った。けれど、今は、母にもそっくりと言われることが多い。もう、どっちでもいいや。

 父の話は、亡き祖母のことになった。とんでもなく厳しいお母ちゃんだったが、たいしたお人だったとのこと。それは、そうだろう。わたしも知っている。けれど、父から語られる祖母は、わたしの知っている祖母より、三倍は厳しく感じるから、不思議だ。

 それから、妹たちのこと、孫たちのこと。話はどんどん様変わりしていく。わたしの息子の話にもなった。パートを始めて、高校から帰ってくるわたし息子の迎えを、父に頼むことが増えた。息子と父、今までは一緒に何かすることは、ほとんどなかったが、今は週に一回ほど、話す機会ができた。父は、息子の成長とても喜んでくれる。あまり頼らずに子育てしてきたが、ここ最近は頼れるようになってきたなぁ。

 そういえば、息子が生まれたとき、「61年ぶりの男子だぁ」と、とても喜んでいたっけ。それから、まだ秋だというのに、「鯉のぼりを買う」と言い出して、驚いたのだった。それを女であるわたしは、ちょっとさみしくも思った。父のそういうところ、わたしは幼い頃からなんとなく感じていたから。わたしが男だったらと、何度思ったかしれない。また、弟がいたら…とも思った。いたら、わたしの人生は大きく変わっていただろう。

 それから、わたしのパートの話になった。父は学校の先生をしていたから、ふと、思いついて、子どもたちへの関わりについて、尋ねてみた。父は、ちょっと考えて、

 「やはり一番いいのは、その子その子をよくよく知って、その子にあった関わりをすることだろうなぁ。それ、きみは得意だと思うよ。」

 と、言った。ちょっと、照れたし、やはりうれしかった。信じてもらえてるわけだ。また、子育てに奮闘してきたことも、わかってくれているように、感じた。

 あとは、物忘れのはなし。ふたりして、駐車場に止めた車の場所を忘れがちだ。だから、いつもおんなじ場所に止めるか、またきちんと止めた場所を覚えておかないと、と話す。それでも忘れるときは忘れるよなぁと、話は続く。

 でも、車が見つかったら、まぁ失敗にはならないよね、と話はそれで終わった。もう、父は免許を返納することを考えているから、こんな話をするのも後少しだろうな。ちなみに、母は物忘れすることは、ほとんどない。

 この話、なんども、父としている気がする。わたしが忘れん坊なのは、父譲りなんだろうなぁ。困った困ったと言いながら、互いを励まし合っている。まさに、似た者同士だ。

 それから、家に戻って、母とも話をした。未だ、父におかんむり。ちょっと、考えて、

 「おかあさんともお茶したいから、今度行こうよ!」

 と誘ってみた。母は「おかあさんはいつでも行けるけど」と、モゴモゴと言う。けれど、幾分、機嫌は治ったみたい。世話が焼けるけれど、そんな母がかわいいとも思う。

 さぁ、今度は、母の話をききますか。


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