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東京訪問① 湘南の海という交差点で

「今からどこに行くの、私もついて行っていい?」

ゲストハウスの寝室の狭い廊下で、すれ違いざまに英語で声をかけてきたのは中国からやってきた女の子だ。
大きな丸ぶちフレームのめがねをかけた彼女は、もう昼前だというのに、眠そうな目をこすりながら、裸足で突っ立っていた。

「ぜひ。海に行こうと思ってる。青い海に浮かぶ、江ノ島が見たくて。」

ひとりで潮風にあたりながら本でも読もうかと思っていたが、
そう答えながら、快く彼女の申し入れを受け入れた。

新宿で乗り継いで、小田急線に飛びのってからの1時間、彼女は本当によくしゃべった。

彼女も仕事を少し前に辞めたようで、年齢も僕のひとつ年下の23歳だった。

運動が大好きだという彼女はスポーツ用品の会社に就職した。けれど、毎日12時間以上働き、帰宅後も残った仕事をしているうち、「生きるために働いているのか、働くために生きているのか」わからなくなってしまったという。

今はいわゆる「ちゅうぶらりん」の状態だ。

僕と現在置かれている境遇が似ていることもあって、お互い話が通じやすかった。

ここ何日も言語バリアで溜まっていたのか、
お世辞にも聞き取りやすいとは言えない、中国語訛りの英語を彼女は機関銃のように僕に浴びせた。

でもそれは、決して心地の悪いものではなかった。
国や文化を超えて、お互いのことを理解し合えた時の、あのゾクゾクするような快感。そんな感覚に彼女も僕も浸っていたのだと思う。

そうしているうちに、江ノ島最寄りの駅に着いた。

駅を出ると海側から強く吹きつける風が頬を撫でた。

潮風だ。潮の香りを含んだ風がおいしい。

浜辺の上空には、何羽ものトンビが舞っていて、両翼でうまく風をつかんでいる姿が目に入る。

高く昇った太陽の光線がアスファルトをまっすぐに照りつけ、
あたためられた空気を風が緩やかに冷ましていった。

開けた視界には一面青い海が広がっていた。

煌びやかに光を反射させている海面には、ヨットがひしめいていた。

その圧倒的な情景を前に、言葉など不必要だった。
あれだけ機関銃掃射をしていた彼女もぴたりと話さなくなった。

ただ、その光景の一瞬一瞬を全身で味わった。

その後、同じ場所に座って、何時間も話をした。

中国のこと、日本のこと、資本主義のこと、民主主義のこと。

話が合うなと、思っていた矢先、

「あなたにどうしてもオススメしたい本があるの」

彼女が少し語気を荒げて言った。

中国語でぶつぶつ何かを呟きながら、何かを検索して、携帯の画面を僕に見せる。

“The Alchemist”

それは、僕の大好きな本のひとつ『アルケミスト』であった。

僕は、このことは決して偶然ではないと思う。
偶然という言葉で片づけるにはちょっと無理があるから。

僕らはその後、江ノ島でしらす丼を食べて帰ることにした。
彼女はしらすというものを人生で見たことすらなかったらしく、
無邪気に「おいしい、おいしい」と言いながら食べていた。

彼女は夕日が沈む瞬間を江ノ電から眺めたいらしく、鎌倉へ向かう予定だった。僕は渋谷で友人と会う約束をしていたので、それぞれ利用する駅が違った。小田急と江ノ電への分岐点でお別れだ。

太陽はもうずいぶんその高度を下げていて、光の筋が少し眩しかった。


「ありがとう」

日本語で軽やかにそう言い放って、
彼女はそのまま振り返ることなく駅へ向かっていく 。
ぐんぐんその姿が小さくなった。

おそらく僕らは2度と会わないだろう。
そんな気がしてならない。

こんな些細な出会いは、いつか
記憶の闇に葬り去ってしまうかもしれない。

けれど、途方もなく広いこの世界で、あの瞬間、あの場所で、確かに僕らは人生の一部を共有した。

無限に広がる彼方に1本ずつ別々の線を引いたとき、ほんの一瞬、一度だけ2つの線が交錯するときのように。

その事実は一生消えることなく、自分という存在のかけがえのない一端を担っていくだろう。


渋谷へ向かう小田急線の列車の中で、真横から入る柔らかな太陽の光に包まれながら、僕は車窓から見える街並みを飽きることなく眺めていた。



こんな長い文章読んでいただき、ありがとうございます。

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