見出し画像

つる誘引係

朝顔は毎朝新しいつるを伸ばす。つかまる場所を探して手を伸ばしている。生まれてまもないそのつるを塀に絡み付いているつるに差し込む。つるはまっすぐに見えてねじれているから見誤ると簡単に折れてしまう。方向もねじれ方もそれぞれ違う。つかまりたい場所も行きたいところもそれぞれ違う。折れたところから白い液がしたたる。朝顔の血は白くてかゆい。

今年は咲き始めが遅くて葉だけの時期が長かった。例年よりも蒸し暑かったためか、おとなの手のひらほどの大きさにまで成長すると急にわさわさと増えながら塀を覆いつくしていった。憧れていた蔦の生い茂る家みたいで夢が半分くらい叶ったなと思っていたら、ある日仕事に行けなくなってしまった。なにかを得るとなにかを失うというのは本当だったのだ。

今任されている仕事が落ちつく冬休み前にここを辞める。そう決めたのは春だった。そもそも今の職場は若いころの最初の就職先で半年ほど働いたのちに向いていないと思ってやめたところだった。タイミングと条件が合って再び働かせてもらうことになったのだが、やはり向いていないようだ。組織が目指している方向性にもついていけなくなっている。辞める辞めると言いながら15年以上がたってしまい鬱屈していたところへ新規事業の話が持ち上がったのだった。まったくやる気はなかったが組織がそう判断したなら仕方がない。軌道に乗れるよう形を作ったら今いっしょに働いている同僚に後を任せて辞めたらいい。これまでは伏せてきたような裏の情報までも共有し、とるにたらない細かいことでもちくいちやり取りをし、ほとんどのことで表に立ってもらって、自分は補佐に回った。引き継ぎらしきことをこっそりと進めつつあと数ヶ月頑張ればいい。そこまで来た時だった。あてにしていたその同僚が辞めてしまったのだ。あんまりやりすぎて悟られてしまったか。
彼が去ってひとつきが経った頃、わたしは家から出られなくなった。

朝顔には季節ごとに様々な虫がやって来ては去っていく。長く住みついている虫もいる。蟻が漏斗状の花のひとつに殺到して中でひしめきあっている。毎朝必ずひとつだけこのような花があるのを不思議に思いながら眺める。蛾の幼虫がしぼんだ花の中で丸まり、オンブバッタのメスが背中にオスが乗っているのも構わずに勢いよく葉をかじっている。クサカゲロウのこどもは背中に食べかすをのせてアブラムシを探している。折らずにつるを誘引できるようにはなったが、仕事に行けるようになるのかはまだわからなかった。

つるは毎朝のびあがる。最初の頃よりもか細くなった。葉も黄色いものが増え、乾いてくしゃくしゃの茶色い葉がしなびた茎につながれている。

仕事には行っていた。やる気はないままこれからをどうしたらいいのかぐねぐねと考えあぐねていた。
黄色い葉を取り除くと夏のはじめに誘引したつるがあらわになった。何本ものつるがぐねぐねとからまりあい赤い色をしていた。そこに小さなつぼみがいくつも重なりあっていた。緑色をしたものと薄い黄色のものがあり、黄色いものはさわるとぽろぽろこぼれ落ちた。

誘引係りを引退した。枯れた葉や咲き終わった花をとりのぞき黄色い葉は残している。葉の裏にアブラムシがいてクサカゲロウが食べるからだ。もちろん朝顔も虫たちもはそんなことはお構いなしだ。
今朝もか細いつるがひょろひょろとのびあがっている。
どこにも絡まらずに花を咲かせている。離れた葉にとりつき巻き付いていく。風が来るとゆらゆらゆらゆらゆれている。

夜、蛾が脱皮した。マスカット色のからだには猫の目のような模様が整然と並び黒い脚と黄色い尻尾が艶やかだった。前の体を覆っていたものは食べて栄養にしたようだ。今はどこにいるのだろう。オンブバッタが黄色い葉の上で体が温まるのを待っている。