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結婚記念日、キリマンジャロに登り海を渡る

今は亡き父は、私の結婚が決まったとき大層喜んでくれたけど、実は陰で「すぐ別れるかもしらんから当分籍は入れさせるな」と母に言っていたらしい。
まあ当時の私たちは、そう心配されても仕方ないほどに、つき合っていた3年半の間しょっちゅう激しい喧嘩を繰り返していた。(定期的に私が泣きながら帰ったり夜中に電話で怒ったりシクシクするので、当分私の片想いだと思われていた)
やっと落ち着いてきたのは、結婚後2年目くらいだろうか。
たぶん、その頃になってやっとお互いの心地よい距離感を掴めたというか、自分と相手のそれぞれ変えられない、変わらない部分や譲り合える部分を、いい意味で我慢や諦めも含め、ともに経験しながら知っていったんだと思う。
ちなみに事情があり実際に籍を入れたのはしばらく経ってからだったのだけれど、今度は父がもう返品不可とばかりに
「なるべく早く籍を入れたほうがいい!」
とせっついてきたのには笑った。

父は古き時代のひとだったので、いつも私に
「Tくん(夫)をいちばんに立てて支えること」
「常に一歩下がって出しゃばらないように」
と口がすっぱくなるほどに言っていた。
それらを守れているかはあまり自信がないんだけど、お父さん、今年も無事に結婚記念日を迎えることができたよ。

あの日も爽やかな秋晴れで
朝早く母とふたり京急に乗り
「花嫁さんが電車なんていいのかしら」と
何度も母が言うのを聞きながら
最高に晴れやかな気分で
タキシードを着た夫が
王子様みたいにキラキラして見えて
教会で一緒に腕を組み入場する父が
私よりガチガチに緊張していて
絶対泣かないと豪語していた母が
式のしょっぱなから泣いてるのが見えて
大好きなみんなの笑顔
笑顔 笑顔
本当に、宝物みたいな時間だった

そこから始まった19年間
楽しいことも辛いことも
そりゃもうたあっっっくさんあって
何より
一緒にここまでこれたことが嬉しくて
全部ひっくるめて宝物だ。


さて、19回目の結婚記念日。
どうする?何をする?
なかなか案がなくて、みんな結婚記念日は何するんだろ?と考える。

ところで来年は20回目だね。なに婚式っていうのかな?と調べてみた↓

いろいろあるのね

20年目は…ええと、磁器婚式、かあ。
磁器ね…えーと、磁器…ってなんだっけ。
(陶磁器のことでした)
なるほど、思ったより…うん、ちょい地味だな。
そしてお気づきだろうか。
1~15年目まではちゃんと名称があるのに、
なぜかいきなり次は20年目までワープ!
そこから先は5年ごとの名称に。
夫婦もここまできたらもうざっくりでいいっしょ!というアバウトさが滲んでいていいね。笑

ということで、今年はなに婚式でもなかった。

なに婚式でもない今年はどう過ごしたかというと、当日は月曜日なので、週末を利用し家族で横浜に行き、ぶらぶらしてみた。

たまたま見つけて登山(?)なランチが決定。
自身の腹具合により山の高さが選べる。我らはチーム戦にてキリマンジャロに挑むことに。

こちらがキリマンジャロ↓

じゃーーん。伝わるかなこの大きさ

およそ1kgの豚の巨大塊山を3人(夫と息子と私)で分けていただく。その大きさに登りきれるか不安だったけど、中は柔らかくて食べやすく、無事に登頂♪

エベレストの上は神の領域


その後は、船に乗って海に出たり


ロープウェイで空に少し近づいたりした。


ちなみに記念日当日は、久しぶりにピアスの穴を開けた。左右3個ずつあった穴がいつの間にかふたつ塞がってたので、思い立って開けに行った。(ビビりなのでしっかり皮膚科チョイス)

ピアスを最初に開けたのは、高校入学時。それからなにか節目のとき、記念にもなるしと気分で開けてきた。といっても最後に開けたのは20代だったから、およそ25年ぶりだ。

上からピアスほくろピアスピアスほくろ

その年で今さらまた開けたの!?と母親には呆れ笑われたが、結構気に入っている。

夜は夫の提案で、急きょ思い出の店で


なに婚式でもない、なんでもない、
ただの、しあわせな記念日。

来年の磁器婚式も、その後のなに婚式でも。
エベレストや海やどこかに、行ってもいいし、
行かなくてもいい。

ただ、こうやって一緒に、
ずうっと一緒に、過ごしていけますように。



( 返品不可 by天国の父 )

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