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30年をふりかえる。

 今年2024年の4月で、弁護士30年ということになるようで、驚いています。登録したばかりの頃は、こんな苦しい仕事、到底5年も持たないと思いましたし、30歳になったら死ぬと思っていました。ところが、なんとかみなさまのおかげでまもなく30年を迎えるほどの間、細々と仕事ができ、感謝申し上げます。
 最近、何というか、短期記憶が怪しく、このままだと忘れそうなので、一度振り返ってみようか、と思い、非常にざっくりとですが、書いてみました。

1994年  弁護士登録 調布事件、名張毒ぶどう酒事件の弁護団に参加
 夏に、日本国際ボランティアセンターなどのスタディツアーでタイを視察
 (国際問題のきっかけ)
   日常的には、刑事事件の接見など深夜まで働く日々。
   東京弁護士会の子どもの権利委員会、刑事弁護委員会などに所属。
1995 年 阪神淡路大地震、地下鉄サリン事件など発生した年
   北京女性会議 国際的な人権活動を志す。
   結婚、ニューカレドニアに新婚旅行 結婚を機に世田谷区岡本に転居
1996年 事務所移転 
 6月 フィリピンに商業的性的搾取に関する東京弁護士会の調査に参加。
 米軍横田基地訴訟参加 秋に訪米要請行動に参加
    (ニューヨーク、ワシントンDC)
1997年 東京三会少年当番弁護士に関する協議会のとりまとめ役
   調布駅南口事件最高裁逆転勝訴
   スイス、マレーシアに旅行
1998年 東京弁護士会子どもの権利相談窓口への相談を受けて「所沢高校事  件」(入学式・卒業式の強制に生徒が反対)で生徒会の代理人になり、活動。
 再び横田基地訴訟に関して訪米要請行動  
 東京三会陪審制度に関する協議会、東京弁護士会の司法改革関連の委員会に参加。
  オーストラリア、南アフリカ、ジンバブエ、ザンビアに旅行
1999年 ハーグで開催された国際平和会議に参加 
   スウェーデンにも立ち寄る。
   日本で児童ポルノ児童買春処罰に関する法律が制定された。
   香港、イタリアに旅行
2000年 日弁連司法制度改革推進本部に参加
   日弁連「百聞は一見にしかず」訪米調査でボストンを訪問 
   世田谷区内で転居
   コスタリカ・キューバを訪問
   自由法曹団本部事務局次長(2002年まで)
   メレスグリオ事件東京高裁逆転勝訴
2001年 9・11同時多発テロ 対テロ戦争に反対する活動など
2002年 アフガニスタン調査団に参加 パキスタン難民キャンプを調査訪問
     6月 「市民の裁判員制度つくろう会」を結成
2003年 イラク戦争(イラク戦争開戦の瞬間、米国大使館前で抗議をしてい
     るところがNHKで放映されたらしい)。 
     裁判員制度関連のロビー活動や日弁連における活動に従事
     アフガニスタン国際民衆法廷に参加。
     フランス・パリ、ニース、カンヌを旅行
     ハンブルグの国際会議参加を経て、鎌仲ひとみさん、森住卓さん
     らと「劣化ウラン廃絶キャンペーン」を立ち上げる。
2004年 シンガポールに旅行
    春 イラク人質事件発生。人質のご家族、解放後はご本人の代理人
    として対応  
    夏 参議院法務委員会で参考人として意見を述べる。
     (裁判員制度と刑事訴訟法改正に関する参考人質疑)
    佐藤真紀さんとの共著「イラク人質事件と自己責任論」出版
    秋 ニューヨーク大学ロースクール留学(2005年12月まで)
2005年 夏 ジュネーブ国連人権小委員会インターン 
   秋〜冬 米国NGO Center for Constitutional Rightsで活動
             (グアンタナモ基地でのテロ容疑者拘束など米国の「テロとの戦
   い」によって発生した人権侵害への対応、パレスチナ入植に関わるビ
   ジネスと人権の課題に取り組む)
             米国の陪審制度と冤罪救済に関する調査
    IADL国連代表代理として活動
2006年 国際人権NGOヒューマンライツ・ナウの立ち上げ
   ネットワーキングのため、タイ、カンボジア、韓国を訪問
   初の単著「誤判を許さない裁判員制度への課題」出版
   法学セミナーの連載開始
   実父からの性虐待事件 約6000万円の賠償を命じる判決
2007年 オリーブの樹法律事務所に参加。 
   春にフィリピンの超法規的殺害に関する人権状況調査、
   夏に初めてのタイ・ミャンマー国境調査 
   取り調べの可視化に日弁連で取り組む。
2008年 東京弁護士会両性の平等に関する委員会委員長
   「なぜ無実の人が自白するのか」出版
    インドへ、女性の権利に関する調査
2009年 パレスチナ西岸地区を訪問 
   ミャンマーで「ビースローアカデミー」支援開始 
   以降2012年まで毎年夏はタイ・ミャンマー国境で過ごす。
   秋に民主党政権誕生 その後人権政策に関して提言を続ける。
2010年 バリ島滞在。
   日弁連両性の平等に関する委員会副委員長
   共著「裁判員と死刑制度」出版 
   奥西勝氏の死刑冤罪事件についてスペインで講演
   最高裁が名張事件第7次再審で差戻し
   インドで児童労働に関する現地調査
2011年 ジュネーブ国連人権理事会に参加
 3・11東日本大震災 被災地を頻繁に訪問し被災地の人権課題対応をスタート。
 日弁連両性の平等に関する委員会委員長
 4月 シンシナティで開催されたイノセント国際会議で登壇・発表
2012年 3月 ニューヨークCSWイベント
  ヒューマンライツ・ナウ国連特別協議資格取得
  日弁連両性の平等に関する委員会副委員長
  4月 事務所を秋葉原に移転、ミモザの森法律事務所を開設
  秋 国連グローバー氏訪日調査
  2012~2015  UN Women アジア太平洋市民社会組織
    アドバイザリーボード のメンバーとなる。
2013年 夏 初めてミャンマー国内調査実施  
    AV出演強要被害の事件活動開始
    名張事件第7次再審棄却(最高裁)
    岩波ジュニア新書「人権は国境を越えて」出版
2014年 4月 バングラデシュ ラナプラザ事故を受けた現地調査
    夏〜冬 ユニクロプロジェクトの開始
    スペインに旅行 国連の要請でインドの国際会議に参加
2015年 1月 ユニクロ委託先工場の調査報告書公表 
               2月 カンボジアの労働環境調査・再びユニクロの委託先の労働環
    境問題の訴えを聞き、声明を公表。
               9月 AV違約金訴訟で勝訴(ランドマークケース)
    9月 安保法制強行採決
               10月 奥西勝氏が89歳で死去
     (弁護士人生で最も悲しかった出来事)
               11月 ミャンマー選挙監視団に参加 ミャンマーで政権交代
2016年 3月 AV出演強要被害に関する調査報告書公表 
    4月「ファストファッションはなぜ安い」を出版
    7月 ヒューマンライツ・ナウ10周年
    9月 児童ポルノに関する調査報告書公表
    フランス旅行
2017年 春 政府がAV出演被害に関する緊急対策、関係府庁会議発足
    夏 核兵器禁止条約の実現 刑法改正市民プロジェクトを発足
    秋 ICANノーベル平和賞受賞 #Metoo運動のスタート 
    マルタに旅行
2018年 3月 伊藤詩織さんとニューヨークCSWイベント開催 
      性犯罪に関する10カ国調査を実施 
           国際人権法学会で学会発表 
       バリ島に旅行
    事務所を秋葉原から神楽坂に移転
2019年 3月 デューク大学ロースクールで#Metooについて講演
  5月 UCバークレーで開催された@Metoo問題の国際会議で発表
  4件の性犯罪無罪判決を受けて、刑法性犯罪規定の改正を求める
  change.org の署名立ち上げ、フラワーデモスタート。
  均等法改正に当たって衆議院厚労委員会で参考人として意見を述べる。
 「なぜそれが無罪なのか 性被害を軽視する日本の司法」出版
  ベトナムに旅行
  秋 慶應大学ロースクールで非常勤講師をスタート
       夏以降、頚椎ヘルニアにより仕事&活動をスローダウン
2020年 1月 バリ島滞在
  スウェーデン大使館と刑法性犯罪規定に関するイベントを共催
  新型コロナウイルス感染拡大
  4月 早稲田大学法学研究科博士課程入学
       法務省が刑法改正の検討を開始。
2021年 ジェンダー法学会副理事長就任(2023年まで)
  角田由紀子先生と共編者で「脱セクシュアル・ハラスメント宣言」を
  出版
  ビジネスと人権に関する寄稿などが増える。
2022年 ヒューマンライツ・ナウ15周年、事務局長交代、副理事長就任
  6月 AV出演被害防止・救済法制定 
  核兵器廃絶NGOネットワークの共同代表に就任
  テラスハウスの問題でフジテレビ等を提訴
  SEALDSに参加した女性に対する名誉毀損訴訟で勝訴か確定
2023年 NYUで2回講演。
  6月 刑法性犯罪規定改正実現 WWFジャパン評議員就任
  7月 早稲田大学より法学博士号授与 
    新型コロナの渡航制限がなくなり、ニューヨーク、台湾、
  ジュネーブを訪問
 
☆☆ とりあえずここまで来た。
 振り返ると、奥西勝さんの死去や、アフガン、イラク戦争、ガザ侵攻などとてもかなしいことも多々あった。
 名張事件に対する裁判所の理不尽な対応に接し、「江戸の敵を長崎で打ちたい」と思い、職業裁判官から刑事事実認定の権限をはく奪したいと裁判員制度の導入に力を入れたり、刑事司法改革に熱心に取り組んだ。一定の改革は進んだけれど、冤罪の救済は進まず、再審法の改正等重要課題は残っている。
 アフガン、イラク戦争への怒りから、米国の戦争犯罪を二度と繰り返させたくない、と思い、国境を越えた人権活動をはじめたが、世界は混とんとするばかりだ。日本から米軍基地をなくしたい、世界から核兵器をなくしたい、これらも道半ばである。
 自分の事件活動や#Metoo運動に端を発した女性の権利に関する活動はかなりの成果を得られた。しかし、日本のジェンダーギャップ指数は絶望的に低い。
 ラナプラザ事件の衝撃から始めたサプライチェーン問題の活動、ユニクロの潜入調査の頃はテロリストのように見られていたけれど、今ではビジネスと人権の課題は、日本でもようやく知られるようになった。しかし、その実施状況を考えると頭が痛くなる。
 でも、日本発の国際人権NGOを創るという夢を形にでき、ヒューマンライツ・ナウは国連NGOになったし、ニューヨークにも法人ができた。まだまだ未熟だけど、ここが私だけでなく、一緒に活動する人たちの抵抗や挑戦の拠点となりうる。
 こうしてみると、がんばったものの、あまり多くを成し遂げていないような気もする。
 そして、みなさんのおかげで結構楽しかったことも多かった気もする。
だから、もう少しがんばらないといけないかなあ、と改めて思った。


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