労働判例を読む#298

【ダイレックス事件】(長崎地判R3.2.26労判1241.16)
(2021.9.22初掲載)

※ 週刊東洋経済「依頼したい弁護士25人」(労働法)
※ 司法試験考査委員(労働法)
※ YouTubeで3分解説!
https://www.youtube.com/playlist?list=PLsAuRitDGNWOhcCh7b7yyWMDxV1_H0iiK

 この事案は、雑貨品などを扱う店舗に約5年間勤務後に退職したXが、会社Yに対し、未払いの残業代などの割増金の支払いを求め、他方、YがXに対し、Xが在職中に受講し、Yが支払ったセミナー費用の返還を求めた事案です。
 裁判所は、Xの割増金請求のかなりの部分を認め、Yのセミナー費用返還請求を全て否定しました。
 数多くの論点がありますが、ここではYが導入した変形労働時間制の有効性に関する論点と、YのXに対するセミナー費用返還請求に関する論点を検討します。

1.変形労働時間制
 Yは1カ月単位の変形労働時間制を導入していましたが、無効とされました。
 それは、労働基準法の非常に形式的な要件に合致しないことが理由です。つまり、1カ月単位の変形労働時間制は、1ヶ月での平均勤務時間を計算して、それが40時間以下である必要があるのに、この会社では70時間となっていたのです。
 変形労働時間制には、導入当初、会社経営者は従業員に対して残業代を払わなくても長時間働いてもらうことができる、という誤解があったようです。Yもこの誤解を前提に人事制度を設計してしまったのでしょうか。
 けれども、変形労働時間制を導入しても、所定の労働時間(この1カ月単位の変形労働時間制の場合には、月40時間)を超える部分について、割増賃金が発生します。しかも、月40時間を超えて働いてもらう場合には36協定の締結が必要となります。
 したがって、本事案でYは、残業時間と把握していた時間だけでなく、この40時間を超過する30時間分についても割増金を支払わなければならなくなったのです。

2.セミナー費用の返還請求
 例えば従業員に海外留学をさせた場合、帰国後すぐに退職されたら会社はたまったものではありませんから、帰国後数年間は転職せずに会社で働くこと、もし約束を守らずにすぐに転職したら海外留学にかかった費用を会社に支払うこと、を約束する場合が多く見かけられます。実際、この規定の有効性が多くの裁判所で争われました。現在、その長さなどについて定見はありませんが、従業員の転職の自由を長期間拘束することは許されない、として返還請求が否定されています。
 本判決は、同様に返還請求を否定していますが、その理論に特徴があります。
 すなわち、①セミナーは、実質的に参加せざるを得ない状況であり、業務として参加していると評価され(この点は、非常にスペースを割いて検討しています)、費用は会社が負担すべきこと、②セミナーの内容はXが転職して役立つものではなく、Yとの雇用契約から離れる自由を制限すること、③セミナーの費用は事前に知らされておらず、金額も給与の2倍程度と高額であること、を根拠に、XY間での費用返還の事前合意は労基法16条が禁止する違約金に該当する、というのが返還請求を否定する根拠です。
 これまでの裁判例で、研修費などの返還請求が問題になったのは、海外留学や資格取得の金銭補助が典型的な事例です。これらにも同様に、労基法16条が適用されるかというと、適用されないように思われます。というのも、転職をされたら困るのは、転職されやすい経験や資格を獲得する場合であり、②のような事情が無いからです。
 しかし、本事案のような返還請求が広く認められてしまえば、極端な例として、会社で仕事を通して教育してきた、これはOJTであり研修だったのだから、退職の際にはその費用に相当する金額を返還しろ、という請求まで認められかねません。
 このような意味で、労基法16条というこれまであまり見かけない理論で、従業員の転職を不当に拘束しないように歯止めをかけた判決、と評価することも可能でしょう。

3.実務上のポイント
 労働時間の認定についても問題になっています。
 本事案では、所定労働時間に勤務時間が収まるように、サービス残業をさせられていただけでなく、上司が勤務時間の記録を改ざんしていた事実まで認定されています。
 変形労働時間制の内容だけでなく、明らかに問題のある労働時間管理まで行っていたのですから、Yが労働法を遵守することに対して極めて無頓着だったことがうかがわれます。労働法は複雑に感じられる法分野ですが、従業員の生活に関わる微妙で、しかも重大な問題につながってしまう法分野です。
 だからこそ専門家のサポートを得て適切な制度設計や運用を行わなければなりません。

※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。

※ この連載が、書籍になりました!しかも、『労働判例』の出版元から!


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