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超次元的実戦川柳講座 その2「物語の雨」

(前回同様、はじめに註。以下の文は2022年1月8日、伊那芸術文化協会における「現代川柳を学ぼう」の講義内容を基にしています。あくまで「実戦」の技法を伝える講座ですので、鑑賞とは異なります。筆記用具を持って実作の用意するのをお勧めします。もちろん、読むだけでもオールオッケー。その1はこちら→超次元的川柳講座その1「字の猫」
 

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  かの子には一平が居たながい雨
               時実新子

 押忍! と書いて Oss! 川合です! 需要があるんだかないんだかわからない、でもあると信じたい川柳講座も2回目になりますね。今日もまず有名どころを一句分析して見ようと思います。
 というわけで掲出句。時実新子(ときざね・しんこ)の句です。およそ川柳作家のなかで、最もメジャーになった人がこの人です。と言って、現在知っている人、どれくらい居るかなあ。挙手お願いします。知ってる人。あー。なんとなく名前を聞いたことはある、人。あー。時代ってこういうもんなんですね。句集『有夫恋』がベストセラーになり、アサヒグラフ——あ、この雑誌自体知っている人が少数なのか——で「川柳新子座」っていう投稿川柳のコーナーを持ち、そこでも、自分の設立した「川柳大学」っていうグループでも、数々の川柳人を育てた、現代川柳の中のスター中のスターです。あの頃はああこれで川柳もメジャーな文芸になるかもしれない、って楽観があったみたいですが、まあ、短い夢でしたね。なんて言ったら怒られるのか。
 ちょっとWikipediaリンクするので見てみてください。(→時実新子)川柳の人でWikiにあるって珍しいです。はい。そんな感じの人です。
 で、世間が必要だったのは「情愛に身を焦がす女流作家」というイメージだったわけで、現代川柳の面白さ、みたいなものはついに商業化されなかったわけです。たぶん。商業化がもちろんプラスのことだけじゃなくて、それで失われてしまうものもたくさんあるんですが、プロダクトとしての「現代川柳」が流通していない、という現状は、「現代川柳」をやる上で覚悟しておいたほうがいいし、もっと歯噛みをしていいことだとも思います。
 すみません脱線しました。
 そんなわけで「情愛に身を焦がす女流作家」というイメージで読まれがちな時実新子ですが、では作品は実際どうだったのでしょうか。皆さんがどう感じられるかは、このひとの句集に直接あたってみてください。川柳作家の中では、いちばんアクセスしやすい作者です。後にみなさんが直に読んでみるとして、ここでは一句のみを取り上げて、読解の補助線になればと思います。
 もう一度読んでみましょうか。

  かの子には一平が居たながい雨

 はい。かの子は小説家の岡本かの子、一平は漫画家の岡本一平です。岡本太郎のご両親、と言えば何となくイメージ伝わるんじゃないでしょうか。なんか今日人名解説ばかりしていますが、まあこれも瀬戸内晴美『かの子繚乱』を読むのが一番わかりやすいかもしれません。こうやって人に責任転嫁する。これが高度情報化社会というやつです(笑)。しかも私、瀬戸内さんが嫌いという(笑)。それは置いておいて、この夫婦ねー、口には出来ないほどいろいろあったみたいで。とにかく、普通ではなかったカップルと思ってください。何となくのイメージでいいです。何でしたらWikiどうぞ。(→岡本かの子)。過剰なエゴを持ってしまった「作家」のカップル。
 その「作家」のイメージと「時実新子」のイメージがうまく重なったから、この句はスタンダードとも呼べる知名度を持っているわけですが、じゃあそのイメージをいったん括弧にくくって、「作品」自体を見た時にどうなるか。この講座全体のテーマの「技法」を読むというやつです。
 まず、「ながい雨」なんですが、ここ、「切れ」があるように見えますよね? 「古池や蛙とびこむ水の音」の「古池や」と「蛙」の合間にある切断。川柳の特色として、「切れがない」って定義があったはずなんですよ。
 そして「ながい雨」って、一瞬季語に見えません?
 実は俳句にも「ながい雨」って季語はありません。

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