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超次元的実戦川柳講座 X-0「世界がはじまる・そして川柳をはじめるひとに」

はじめに

 みなさん元気ですかあーっ、川柳の川合大祐です。今日も「超次元的実戦川柳講座」をご愛読、ありがとうございます。と言いつつ申し訳ないことにここしばらく更新が停滞していました。罪悪感がギザギザハートを刺しますね。ほんとか。
 というのもですね、私、片方でzoom講座「世界がはじまる十七秒前の川柳入門」(通称「せか川」)というのをやっていまして、そちらの内容とこの「超次元的実戦川柳講座」(通称「超実」)で語っていることが微妙に交錯してくるんです。で、なんかどちらに力点を置いても中途半端、と言うか私のなかでパラレルに絡み合ってはいるのだけれど、さあそれをnoteとzoomでどう並行させてゆくのか? と結構迷っていたのです。お金もらってるし。

 でですね、「超実」(略してみました)も10回目、「せか川」も12回中10回が先月終わり、あれ、並んだ? とふと思うこのごろ、いっそふたつをクロスさせてしまったらいいのではないか? と思いついてしまったのですよ。

 具体的に言うと、「せか川」(略語です)のプレとしてひらいた第0回の講座を、リファインして「超実」(略、とはもう言わんくていいか)のX回として、今回有料記事で発信します。
 これ、「そもそも川柳とはどういうものか」という基本的なところから、「現代川柳」を如何に作り、如何に読むか、というところまで概説した射程の広いテクストになっています。
 実際に「超実」ではいつかは言及しなきゃいけないな、と思っていた「川柳」というジャンルに対する「前提」に触れていますので、この記事だけ読んでいただいても、かなり「川柳」がレベルアップすると思われます。マジで。
 たぶん、「川柳って何?」と疑問を持ったひとにはある納得になるだろうし、この記事からみなさんそれぞれが自己の発展をして行っても勿論言祝ぐべきことだし、あらためて「超次元的実戦川柳講座」を遡ってご覧になっても、また新たな発見があるのではないかと存じます。ほんとうに、そのへんはご自由に。ただ、できれば有料の部分までお読みになってください。定額マガジン「別冊・非情城市」にも収録してありますので、そちらのほうがお得感はあります。

 そしてですね、あらためてこれからの「超実」と「せか川」のあり方について方針を述べておきます。
 「超実」と「せか川」はお互いを補完し合う並行宇宙として、これからも両方続けてゆきます。noteの「超実」で書いたことはzoomの「せか川」で言うことの裏付けになるかもしれないし、「せか川」の具体例が「超実」で示されるかもしれない。あるいは、「超実」での知識を生かして「せか川」でのライブを楽しめるかもしれない。
 ……と、いった具合に、このふたつは両輪の車として、あるいは右脳と左脳のようにして、「あるひとつのもの」をかたちづくってゆければ、と計画しています。なんか前置きが長々しくなってきた。そろそろ飽きられてますね。もうちょっとなので我慢してください。

 であの、何が言いたいかと言うと「超次元的実戦川柳講座」と「世界がはじまる十七秒前の川柳入門」はセットでのご購入をお勧めします。これね、ほんと購入してもらわきゃならない、ってのが辛いとこなんですが。できるなら無料公開したいっすよ。けど自分も飯を食わなきゃ生きていけないですもん。売れるもんなんて他にないんです。身も蓋もなく言うと。て言うか、「売る–買う」の構造があったほうが、お互い真剣になれる気もしません? 私とみなさんと、お互い。(資本主義って何なんだろう?)

 note「超次元的実戦川柳講座」はここで継続します。サブスクにするとお得かもしれません。
 zoom「世界がはじまる十七秒前の川柳入門」は現在第10回まで到達、2023年7月で第1シーズン終了ですが、9月より第2シーズン開講予定です。こちらに関してはまた追ってアナウンスします。

 ……ぜえぜえ。結構緊張して売り込みしたので呼吸困難です。メンタル弱いんですほんと(弱さゆえの図々しさ)。ともあれ、退屈な前置きはここで終わりです。今回の講座はじめます。しつこいですが「川柳の前提」なので、最後までお読みくださることをお勧めします。ではでは、いよいよはじまりはじまり。


あらためて、はじめに

 こんばんはー。今は茜色の朝焼けの人も真昼の決斗の人もこんばんばー。何か一発ギャグをやろうとして滑りそうなのでやめました。21世紀になって「ラッシャー木村です」ってやってもねえ。いややってしまいましたが。ラッシャー木村さんというプロ・レスラーを知らないかたも増えている昨今、一度You Tubeで検索してみてください。「表現」というものの奥深さがわかりますから。ほんとか。

 というわけで「表現」の手段として、「川柳」というものがあるのです。川柳の話にどうにかつながりましたね。よかったよかった。この21世紀、いろんな表現手段があるのに、なんで「川柳」なんて使ってるのか。いやそれ自分に問うてるんだけど。まあそんな問いに答えられるかどうか、わからないけれど進めていこうと思います。

 だいたい、こんな記事に目を留めるような人びと、かなりガッツリ書いたり読んだりしているかたばかりというか、少なくともカタギのかたがいない感じはしますね。いやこんな言い方良くないのかもしれないけど。

 で、そういうガッツリ系の方にはちょっと読み飽きたかもしれないけれど、今日はまず「川柳の発生」について簡単にやります。で、そこから「川柳の特性」——まあこれ川柳のある一面の特性なんだけど——をやります。そしてその特性をどう「表現」してゆけばいいのか、その「技法」まで話を進めて行ければ、と思っています。

 まあその、あれですわ。何かご意見ご質問などあれば、コメント機能というものもありますので、お気軽に書き込んで行ってください。

 それでは、まあ、ぼちぼちとはじめてゆきますか。

1.川柳の発生


 川柳がどんな起源を持っているか? ということに関してはもうご承知のかたも多いと思います。まあちょっと暇かもしれませんが聞いてみてください。また、「古いことがいま何の役に立つの?」と思う方もいるかもしれません。これは一理あって、発生したころの川柳、「古川柳」と「現代川柳」を直に接続することはできません。ものすごい断絶やねじれがあったわけですから。ただ、あるジャンルが発生した、そしてそれが段々と淘汰圧によって変化していった、ということは結構重要な気がします。本質的な川柳性とか、そういうことを言いたいんじゃなくて、何があって、何が滅び、「現代川柳」にその残滓があるのか、その点を語ってみようと思います。なので知ってるかたもとりあえず聞いてみてください。

 まず、「川柳」というものは、「前句付」が前身になっています。

 ご承知のとおり、「川柳」とは人の名前です。「前句付け」のある一派――というか柄井川柳さんのやったひとつの大会の名前が、「川柳評万句合」で、これがいつのまにか「川柳点」とか「川柳点句」とか呼ばれるようになって、いつしか「川柳」っていうジャンルそのものを指すようになったのですよ。

芭蕉の「俳諧」

 その前句付けの出発点がどこか、というのはかなりカオスなのですが、かなり乱暴に端折って説明します。
 まず、俳諧、です。「俳諧」というのは「俳句」の基になったもので、そのかなりのパーセンテージは、いまで言う連句ですね。575のあとに77をつけて、その「前」にあたる575をつけて、っていうやつです。
 このうちの一番初めの句を「発句」と言い、芭蕉がこの芸術的完成をさせた、ということになっています。この発句、だけを集めた句集も江戸時代にはあるんだけれど、まあ芭蕉の時代には、発句集、として、複数の作者が競い合う、みたいなかたちだったんですよ。つまり今の「俳句の句集」みたいなものは基本メジャーじゃなかったんですね。(後世になると個人句集を編む人も出てきます)。
 ちなみに発句にだけは切れ字(や、かな、けり等)が許されたんです。だから明治になって正岡子規が「俳句」ってジャンルを作り出した時、子規の構想には「発句」を継承発達させてゆこう、てのがあったから「俳句には切れ字(まあそうでなくても切れ)を入れる」ってルールができたわけです。あ、ちなみに江戸時代には「俳句」って言葉ほぼありませんでしたから。(ごく稀に言ってる人もいたみたいです。のんびりあんさんから教えてもらいました、感謝)。でもほぼほぼ、あくまで俳諧か、まあ発句、という名前で呼ばれていました。もっとちなみに言うと「芭蕉」は「芭蕉」って名前であって、「松尾芭蕉」って名乗ったことはないです。したがって「松尾芭蕉の俳句」というものはこの世に存在していないのですね。日常生活でちょっと使える豆知識でした。

 で、俳諧というのは、まあインテリというか、芸術やってる人の「座の遊び」だったわけです。でもこの、77の前に575を付ける、この付けた句を「付句」って言うんですが、あれ、これって面白くね? というノリで、大衆的な遊びとして広まり始めたのです。細かいことを言うと、「俳諧」ってのが成立し始めたころの『犬筑波集』(大永三年(1523)~天文八年(1539)の間に成立)には、付句と発句が収録されているわけです。

 有名なのが、 

   きりたくもありきりたくもなし
  ぬす人をとらへて見ればわが子なり

 ですね。これ、「川柳」として語られることも多いのですが、この時点では、まだ「川柳」というジャンルはありません。ですが、川柳的なソウルの芽生えとして「川柳以前にすでにあった」わけです。このあたりが「俳諧」と「川柳」のカオスになっている一因とも言えます。〈川柳と言うのも「俳」のひとつの「雑俳」だ!〉というややこしいやつですね。まあ、俳諧が「前句付」を孕んでいた、ということを押さえておいてください。 

 で、この「きりたくもありきりたくもなし」の77に「ぬす人をとらへて見ればわが子なり」の575を付ける、これを「前句付」と言いました。この前句付って言う名称にも、「出し句を下の句、付け句を上の句として、前句と言うのか」と「出し句を題つまり前句として、これに句を付けるから前句付けと言うのか」という、「前句につけるか」/「前句をつけるか」というややこしい論議があったみたいです。で、この結論はいうと、そこまでは踏み込めないので端折ります。とりあえず「前句」というがややこしい、ということだけ今日は覚えておいてください。もう十分ややこしくなってますが。

 ちょっと戻ってさっきの切れ字の話をすると、前句付の部分は「平句」にあたるわけですから、「川柳には基本切れ字を使わない・川柳には〈切れ〉がない」ということになっています。

 で、この前句付という遊びが流行ったんです。まだ「川柳」というものがなかった時代、元禄期にはある程度の前句付のやりかたが整っていました。
 次のような形式になります。


  ①会所(清書所)が宗匠から前句題を受け取る

  ②各地の取次が題を配り、周囲の作者から句を集めて会所に送る

  ③会所から出された句に対し、宗匠ひとりが、その中からいいと思ったものを選ぶ

  ④選ばれた句に対して賞品(味噌とか)が届く。ついでに承認欲求みたされる


 んで、細かい川柳史については、物凄く端折ります。また機会があれば、川柳史について一講義持つかもしれません。

 ここで元禄から享保に一気に飛びます。徳川綱吉(生類憐みの令)から吉宗(暴れん坊将軍、汗)とイメージしてください。

「前句付」の大会(としておきます)がたびたび開かれました。

 選者(点者と呼ばれていました)の名を取って「**評」と呼ばれる習わしだったのですが、「柄井川柳(からいせんりゅう」という人の開いた「川柳評万句合」という大会が一大ブームを引き起こしたのです。


『誹風柳多留』
『誹風柳多留』本文。「俳諧」と比べて見て欲しい

 この「柄井川柳」という人が選んだ句がすげー、という評判が立ったわけです。で、それまで選ばれた句って、印刷されて投稿者にのみ配られる、っていうかたちだったんですが、この「川柳万句合」を基に書籍として発売されるようになったんです。「柳多留」という本なんですが。この本のプロデューサーが「呉陵軒可有(ごりょうけんあるべし)」という人で、名前覚えておくとちょっと通ですよ。
 で、これがまたベストセラーになって、そうすると川柳万句合も毎年のように開催されて、「柳多留」もシリーズ化されて続編が出て、万句合にも参加者は増えて、「柳多留」はますます売れて、と相乗効果で、すっかり「川柳」の名は大きくなっていったのです。
 で、選ばれた句は「川柳点」と呼ばれていました。これがいつの間にか省略されて、しかもこの前句附というジャンルの句全体を指すようになって「川柳」という名前で流通することになったわけです。早い話、ラジオのネタ投稿に、DJの名前がついたようなもんですね。乱暴な喩えだけれど。
 先にも言ったけど、「川柳」という名称が定着する前、さまざまな選者さんが「前句付け」を催していて、なかには「雲鼓」さんの「雲鼓評」ってのもあったわけです。この「雲鼓」って音読みするんですが、もしこちらが覇権を握っていたら、われわれ、うんこを詠んでいるわけですね。あぶないところでした。
 それはともかく、つまりこうして「川柳」というのはポピュラーなサブカル(って言っていいのかな)として日本に定着したわけです。だからまた余分な知識なんだけれど、柄井川柳自身は、川柳を作っていないんですよ。あくまで選ぶだけで。もっとちなみに「川柳」という名前は襲名制で、現在西暦2023年も川柳さんいらっしゃいます。

 でですね、繁栄したものは当然腐敗するわけです。とにかくいい得点をとろう、って言うんでひたすら目立つ句を出す、まあ早い話が下ネタとかきっついギャグなんですが、なかには点者に袖の下を渡して「ふっふっふ、お主も悪よのう」……とはさすがに言ってないと思いますが、まあお金で名誉を買うと言う、どこの世界でも見られる現象が蔓延するようになったわけです。

 まあね、良心的な川柳人の方は「堕落した狂句の時代」と言って、黒歴史というか、なんか否定したい時代に突入したわけです。それを明治になって阪本久良岐とか井上剣花坊とかが「新川柳」として改新した、っていうのが定説なんですが。

 いやでもここだけの話、狂句って、実はすごい言語実験とかしていて、ある意味面白いんですよ。あくまである意味ですが。ここではカバーしきれないけど、でも現代川柳って「狂句」に先駆けられてしまっていることも多々あると、そんな予感はしています。

 で、話を戻すと、この「川柳の発生」から「川柳の特性」を引き出してくることができます。次のステップ行きますね。

2.川柳の特性

 大きく、二つテーマがあります。

①川柳というメディアの発生
②川柳の型式の発生

 順に見ていきましょう。

①川柳というメディアの発生

 まずこれが、印刷技術と郵便制度っていう、ニューメディアに支えられた現象だと言えます。日本人の識字率の高さとか、別にそれは大して誇ることではなくて、単に指向性がオタクだった(笑)だけの気もしますが、とにかく「本」と郵便の発展って、今で言ったら6Gでフェイスブック、ぐらいの革新性はあったわけです。

 メディアの変革、って言うより、マスメディアが誕生したと言ってもよい。で、メディアの変容って、それを受容する人間を変容させるんですよ。

 どういうことかと言うと、「大衆」がある場に向かって、「大衆」のひとりとして参加するという時代を迎えたわけです。そんなことは今までになかった。そのあたり、「場」の文芸としての俳諧とは異なるわけです。ここに、近代的人間の萌芽を見ることもできるかもしれませんが、今日はそこまで立ち入りません。ただ、「川柳」の発展に、メディアというものが不可分だったことは記憶に留めておいてよいかと思います。では現代、このネット社会において——こうやってnoteで発信しているわけですが——「川柳」はどういうかたちをとってゆくのか。これは思考実験として面白い試みだと思います。是非やってみてください。

 ちょっと話が前後しました。「大衆」のひとり、ということを言いましたが、この「ひとり」性というのは、送信先も「ひとり」であることが重要です。「点者」についてお話ししました。このひとりきりの選者に対して、「ひとり」の作者が句を送るわけです。作者というのはクラウドの大衆なわけで、そこから、「ひとり」というオリジナリティを出して行かないといけない。つまり、「点者」の目に留まるようなものを作らないといけないわけです。

 このあたりから、さっきも言った「川柳の堕落」、狂句への道がはじまるわけなんですが、その評価はいまは置いておきます。ただ、「川柳」というものが「作者」と「選者」の一対一の関係を取り結ぶものだったことは留意してください。「点者」が選ばなければ、句は句として成立することがなかったわけです。「川柳」が点者、柄井川柳の名前を冠されたものだということは、その点から見るとすごく重要なことかもしれません。「点者」という第一次の読者と密接に、川柳というテクストが成立するわけです。この辺の読者論も展開させてゆくことはできますね。

 というところで川柳とメディア、の関係についてはこのあたりにしておきます。いやこれ、もっと追求したほうがいいテーマな気がするんだけれど。とりあえず自分への宿題ということで。

②川柳の型式の発生

 これは、「前句附」の型式にかかわってくる話です。

 まず、お題として「七七」がありました。たとえば

   口笛は何の気も無い道具也
     (お題 「こころ良い事 こころ良い事」)
 

 というのがあります。(『誹風 柳多留』(二)14表より)

 これ、鈴木倉之助の校注によると、「口笛は咳払い、目くばせなどと違い、愉快な時などに思わず吹いてみたくなる。特別な意味ははない」。

 意味ないって言ってますね(笑)。で、なんで意味ないものが成立してしまうかと言うと、七七の前に付けるからです。「こころ良い事 こころ良い事」に対する答えというか、まず七七があって、それを説明・補足・展開させてゆく手法なわけです。

 まず七七があって、それに対する答えと言いました。つまり、七七にかなり依存した、というか、七七に向けて重心をかけた作りになっているわけです。

 で、これをやるとどうなるかと言うと、「~は~である」、つまり「AはBである」という構造になりやすいのですよ。七七のシチュエーションを説明しているわけですから。

 この「Aとは何ですか? Bです」という型式を、「問答体」と呼びます。これは結構川柳に長く続いている型式で、川柳の三要素って「穿ち・かろみ・おかしみ」って良く言われるんですが、この三要素っていうのも、この「問答体」をいかに面白く言うか、というところから出発しています。「A」に対していかにひねった「B」を言えるか。いかに洒落たことを言えるか。いかに意外なことを言えるか。そのあたりが、機知というか、「川柳ですか。風流ですね~」とか言われる基になっているわけです。

 でですね、ここが重要なんだけど、「問答体」って寸胴になりやすいんですよ。A=Bっていう等式になっているわけで、ほぼ完全に自足してしまう。これが七七につける「前句付」だったら、まだ七七への運動体があったわけです。それが、前句付ではなくなった、一句として独立した現代の川柳では、A=Bって、「単にAをBとしてあらわしただけ」の、詩歌としての「くびれ」が無い形に陥りやすいんです。

 これが、川柳が発生した時に孕んでしまった、川柳の型式上の問題です。

 こういう「問答体」をいかに克服するか、が現代川柳のひとつの命題なわけです。ここ、すごく重要なところで、この講座でやることも、「どのように問答体と対峙するか」という問題意識さえ覚えてもらえればいいです、これは極端な話ではありません。

 その命題へのアンサーとして、

  縊死の木か猫かしばらくわからない/石部明

  都合よく転校生は蟻まみれ/小池正博

  妖精は酢豚に似ている絶対似ている/石田柊馬 

 などが作られてきました。石田柊馬さんという人は「~は~」の問答体にすごく敏感な人で、「妖精」句においてもその問答体をいかに内部から壊してゆくか? という挑戦なわけです。

 この句、「妖精」と「酢豚」が「離れている」のは勿論ですが、それだけならまだ「わかりやすい川柳」の域に留まっていると思うんですよ。ほんとうに重要なポイントは「似ている絶対似ている」というリフレインにあるんじゃないかと思います。

 ここで、「2回繰り返す」こと、「絶対」と言い切ってしまうこと。それが逆に「作中主体」——まあ、この「妖精は」って語っている人ですね——は「妖精が酢豚に似ているなんてこれっぽちも信じていない」という事実をあきらかにしてしまう、とは良く言われます。まあこれ、「信じている」でもとてもやばいひとなんですが(笑)。

 でも、実はもっと重要なのって、「似ている」って言葉の選択だったと思うんですよ。「似ている」であって「である」ではないんです。イコールに限りなく近くて、限りなく遠いニアイコール。この「似ている」の選択と、やっぱりそれを2回繰り返すことのやばさ。というか。「問答体」ってこれくらいやらないと崩れない、っていう証明でもあると思います。

 で、思いもかけず一気に石田柊馬さんまで来てしまいましたが、ここで、「現代川柳」では、川柳をどのように表現するか見てみましょうか。次のステップに行きます。 

3.川柳の表現

A=Bを崩す

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6,016字

¥ 770

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