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鳥籠

自由な世界を夢見ていた。

毒親や過保護といった類いの両親に育てられた私は、二十年生きてきて、アルバイト終わりのラーメンの味も、異性とお泊まりをすることの楽しさも知らない。

玉のように大切に丁重に育てられたのなら、まだ良かったのかもしれない。
常に弟と比べられ、男尊女卑の抜けない昭和の価値観を持った祖父母に貶され虐げられてきた。
その上での、上記の内容だ。

自分自身を鳥籠の中の鳥にしか思えなくなった。

籠には隙間がある。
その隙間から、友人たちが楽しそうに遊んでる姿が見える。
私もそっち側に行きたい。連れ出して。
と、届きもしない声で何度叫んだだろう。


先日、両親に嘘を吐いた。
内容は教習所の期限が過ぎていたのにも関わらず、まだ通っていると偽ったことだ。

中学生の頃に顔を思いっきり殴られ、唇の裏に血豆ができた。
マスクをして学校に行きなさい。と言われて学校へ行ったが、給食の時間に担任が違和感に気付き、スクールカウンセラーに連れて行かれた。
誰にも言わない。と言った先生に私は全てを話した。昨日父親に殴られたこと、血豆があること、ここの他にも傷が沢山あること。
今思えば馬鹿馬鹿しいが、誰にも言わない訳は無く、児童相談所からの手紙が家に届いた。
ご近所さんからの目を気にしている両親にとって、娘が暴力を受けていること、父親が捕まることを知られることは何よりもあってはならないことだったのだろう。
その翌日、父親から謝罪を受けた。

この記憶を鮮明に覚えている私にとって、今私がこのまま帰宅すれば、確実に見えないところに傷を付ける父親の姿は容易に想像がついた。
私は友人にこの事を話し、しばらく友人宅で過ごすこととなった。

当分帰らない。また連絡する。しばらく友人宅で過ごす。
とだけ送信し、通知を切った。

2日が経過したある日、父親から連絡が来ていた。
「いつ帰ってくる。時間が経てば経つほど帰りにくくなるとは思わないのか。」と。
帰るつもりなどそうそう無かった私にとって、この連絡は何の意味もなしていなかった。
父親からすれば、位置情報アプリを切断している私を見つけることは不可能に近いから、私から帰ってくるように促しているのだろう。

友人に、帰ってこいと言われたが、確実に殴られる。でも何時迄もここにいる訳にはいかない。と伝えると、私が帰った後いつでも警察に通報できるようにスタンバイしておくと言ってくれた。

どうして嘘を吐いていたのか、何が嫌で友人宅へ避難していたのか、それを伝える為にも帰らなければならない。

次のnoteが更新されれば、私は無事だったという証明にもなる。
更新されなければ、どうか画面の向こうの私を助けて欲しい。


–今日私は、傷を付けられるのを覚悟で鳥籠に自ら戻る、哀れな鳥になる。–

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