薄明-はくめい-

-------日が暮れて空が青に落ち着き始め世界が淡く染まる時、私は生を取り戻す。

薄明-はくめい-

-------日が暮れて空が青に落ち着き始め世界が淡く染まる時、私は生を取り戻す。

最近の記事

わたし

意中の人と結ばれて共に人生を歩む。 それが1番の幸せなのだろうか 私は両親と共に生活しているが、日常のどの場面を切り取っても、誰かと共に過ごすことなどできないと感じてしまう 料理をする母親とテレビを見ている父親、洗濯物を取り込み畳む母親とスマホを触っている父親、食器を洗う母親とパソコンを触っている父親 それが女性として生を授かったものの定めだという世の中は昔の話で、どんな生を授かったとしても共に支え合いながら歩んでいくのが現代ではないのか 叱る時に理由を聞く母親と頭ご

    • 鳥籠2

      日が沈み、分厚い闇に閉ざされているこの時間が何よりも好きだ。 以前のnoteの続きを記そうと思う。 帰宅後、こっぴどく怒鳴り殴られると思っていたがただ虚無に、何故帰宅しなかったのか、今まで何処にいていたのか、という言葉を投げかけられる方が多かった。 予想に反して、傷を付けられることは無かった。 全て叱られた後、両親から「嫌なことは嫌と言って良い、好きに生きて良い。」「私たちの何が悪かったのかと考え続けた。」と告げられた。 ここだけみれば、凄く心のある両親を持っているでは

      • 鳥籠

        自由な世界を夢見ていた。 毒親や過保護といった類いの両親に育てられた私は、二十年生きてきて、アルバイト終わりのラーメンの味も、異性とお泊まりをすることの楽しさも知らない。 玉のように大切に丁重に育てられたのなら、まだ良かったのかもしれない。 常に弟と比べられ、男尊女卑の抜けない昭和の価値観を持った祖父母に貶され虐げられてきた。 その上での、上記の内容だ。 自分自身を鳥籠の中の鳥にしか思えなくなった。 籠には隙間がある。 その隙間から、友人たちが楽しそうに遊んでる姿が見

        • 仮面

          某日、二十歳を迎えた。 幼い頃に思い描いていた二十歳は、もっと自由で勇敢な人だった。 お酒を飲み、勉学に励み、アルバイトをし、好意を寄せた人と幸せなときを過ごす。 そんな人になれていたらどれほど良かったのだろう。 幼少期を他人の目ばかり気にして過ごしてきた所為か、未だにその癖は直らない。 この人は今悲しんでいるからこう接しよう。この人は今怒っているから一緒に愚痴ってみよう。この人は今楽しんでいるから一緒に楽しもう。 良く言えば、誰とでも合わせることの出来る自分。悪く言えば