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北野イズムの奇跡を待つ

自分と娘の、いわゆる招き猫現象はあいかわらず続いている。昨日も灼熱の、祭りの後の街角の、まあまあ空いたレストランで、自分たちが席に着いて水を一口飲んだ瞬間、つぎつぎと家族客が入ってきた。私一人より娘と一緒だと、笑うくらい列ができる。服屋の返品コーナーだとか、地下鉄のキオスクだとか。夫が「商売になるんじゃない?」って冗談を言ってた頃からもう20年くらい経った。

今住んでいる街は、いちおう大きいけど、商業ベースでの大都市ではないので、経済が沈んでるときは、有名アーティスト達はここをすっとばして隣の街へ行く。でもたまに「おお!」というアーティストが気まぐれにやってくる。

ついこの間も、いずれタイミングよく旅行先かどこかで、彼が活動している間に、もしかしたら一度くらい行けるかなあ、、とぼんやり願いながらYoutubeでただただ聴き入ってたピアニストが、突如2日間だけやってきた。スケジュールはWEBサイトに載ってもいなかった。いつもの見慣れた街のコンサートホールに彼がいることが不思議だった。

話は飛ぶ。

空気階段の単独公演も半ば。ラジオの二人のトークを聴きながら、その土地での様子を空想しながら楽しんでる。こちらも、いつかはライブで観られる日がくることを願ってる。

もぐらとかたまり、両方天才で「持ってる」コンビだけど、運の強さでいったら、もぐらが最強だと思う。かたまりがもぐらにというより、もぐらがかたまりに出逢えたわけだから。そして今こそかたまりの、かたまり自身の持っているパワーの与えどころ。踏ん張りどころ。

もぐらには狂信的に崇拝する対象がいくつかあるとして、その一つがビートたけし。もぐらにとっての北野映画の世界は、すなわち父性の象徴。無意識のパラドクス。諦めと憧憬、そして希望。

自分が父になったことは幸運。強運。その他試練はあるだろうけど、これはこれから息子達が育っていくことで解消されていくはず。ただ、今は仕事の成功や名声もまるで意味を成さないくらい、心の中に穴が開いちゃってる。ここ最近のラジオの声だけで、ある程度の年重ねたファンはわかるはず。

今年の単独公演が成功したのち、季節が変わっていくまえに、からだとこころのケアが、無理のないところで、でも然るべきところでなされることを祈ってる。余計なお世話だけど、ただのファン心理だからごめんあそばせ。


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