青い

青い綿毛

 液晶を片手に、少しうつむき加減で足を運ぶ、おびただしい数の人。鳴り響くアナウンス。――黄色い線の内側をお歩き下さい――

 何をそんなにイライラしているのか、急ぎ足ながら前につまり舌打ちを鳴らす男。階段を二段飛ばしで駆け上がる若い背広。乗換駅でなおかつ終点だから、スーツや学生服が多い。急ぐものはなにかに苛つき、余裕を持つものは液晶に夢中。この風景を見慣れはしたが、違和感は感じずにはいられない。これが朝や夜には急行の到着する十分ごとに行われることがまた恐ろしい。それぞれに考えがあって、それぞれに生きてきた時間は違い、環境も家族構成も違う。わかってはいても、ぱっと見はどれも同じ。

 その中で、長い黒髪で青色のワンピースをきた十代後半らしい女の子が道に迷ったように彷徨っていた。一度でそんなことはわかるはずもなく、先ほど階段を登ったときに近くにいて、彼女は別の路線の改札に向かって行ったはずだった。自分はというと駅構内のコンビニに立ち寄り、喫煙所で少し立ち止まっている。この駅の構内で彼女は少し異質で、この駅をあまり利用したことがないようだ。

 歩き回る人混みの中、発色の良い青があちらこちらへと浮いている。気がつくと彼女の前にいて声をかけていた。――道に迷っているのかい―― 彼女はぎょっとして振り返り、恐れた目でこちらを見つめる。揺れた長い黒髪はシャンプーやトリートメントの甘い香り。まだ一度も陽を浴びたことのないくらいの白い肌とつぶらな瞳は幼女のようで、細い手足はか弱く折れてしまいそうだ。

 彼女がだんまりをきめこんだため、一言謝り立ち去ろうとしたとき、声帯から発せられたとは思わぬ言葉が飛んできた。――高いとこに行きたい―― 振り返ると彼女は微笑んでいるわけでもなく、ただじっとこちらを見つめている。高い所といっても、富士山かスカイツリーぐらいしか思いつかず、どちらかと聞いても応答はない。スカイツリーに行こうとしたところ、逆方面の電車に乗ってここまで辿り着いたのだろう。特に用事はないため彼女を送ることにした。

 急行の押上行きに乗り、始発駅から終点だから時間がかかることを伝えると、彼女は首をこちらに傾け目を瞑った。甘い香りは心地よく、顔や身体つきにはそぐわない彼女の胸の膨らみは、母性が溢れていて安らぎを与えてくれた。自然と自分も目を瞑り、意識は遠のいていった。

 ――次は終点、押上です―― 車掌のアナウンスで目を覚ますと、隣には誰もいなかった。彼女は疲れて家が途中駅で帰宅したとか、実は高い所は別の場所だったとか、ふらふらしていて適当に降りてしまったとか、とにかく色々考えた。おそらく一番最後が正解だろう。きっと彼女に目的地という概念はない。タンポポの綿毛のようにふわふわと、風に飛ばされて、落ちていく地面は決められてはいない。

 毎日決められた時間に電車に乗って、学校、職場などのいつもと同じ駅に向かい、代わり映えのない日々を過ごす。大半の人がそうで、それが当たり前であり、当たり前にできることはむしろ偉大ですらある。でも自分は彼女のように、タンポポの綿毛のように生きていきたい。目的地なんて気にしないで彷徨っていたい。一人でそんなことを考えながら、夜のスカイツリーを眺めても仕方がない。とりあえずは、今日のところは、終点中央林間行きに乗り込む。

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