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哲学学んで気づいた数学やる意味①

どうも、いずっちです!


毎日小説投稿していましたが、妹にPCを貸したことをいいことにめっちゃ休んでました。小説とかはまた物語を整理してから投稿しようと思います。


最近は発信不足、タイピング不足でした。指が鈍ってプラプラしてます。


ので、そろそろ何かしら書こうかなって思ってPCに向き合ってます。


やっぱ何かしら言葉にして発信しないと、整理されないし自分の価値観を作っていけませんねー。


もう今月で大学生は終わりですが、”学び続けよう”という姿勢は社会にも持っていきます。


これは大学で得た大切な姿勢のひとつですね。


知らないことを知ったり、理解を深めたり、自分なりに考えたり。


そういった”学ぶ”という営みは好きです。


本があったら溺れたいです。僕の知らないことを知ってる人がいたら理解するまで聞きまくりたいです。


そのくらい、自分にないものを得るのは楽しいです。


だから、これから社会に出て仕事をするのが楽しみです。


仕事は、インプットしてアウトプットしてっていうのをめっちゃ繰り返しながら学ぶものだと思ってるんで、いろんなことが学べるんだろうなって予感があります。


最近”学ぶ”っていうことが自分の中で急上昇してきたので、このnoteとかブログでは自分の学びのための言語化をしていこうと思います。


明らかに、僕の傾向としてはインプット(読んだり聞いたり)に偏ってるのでアウトプット(書いたり話したり)を多めにしていきたいですね。


最近本読んでて気づいたことは反対意見って大切なんだなってことです。


少し前から哲学にハマってて、哲学がどういう流れで発展してきたかを読んでたら反対意見重要だなって気づきました。


哲学っていろんな概念・考え方が出てくるんですけど、例えば、

「神様を信じよう!この神様が絶対だ!」っていう風潮の中で、ニーチェっていう哲学者が「神は死んだ。」って現れました。今の時代だったら炎上間違いなしの一声ですね。


まあそんな感じである一つの意見に対してその反対意見をぶつけ、その二つの意見を踏まえた上での意見が出来上がり、またそれに対して反対意見をぶつけ・・・っていう繰り返しで”考え”っていうのは発展してきました。


だから反対意見を持つことは物事を発展させる上でめっちゃ重要なんだなって気づきました。


また、それに気づいた時「数学の勉強をする一つの理由がこれか!」っていうことにも気づきました。


それは”反例”のところです。

数学の中の命題っていう単元ですかね。


例えば、

命題「Xが5の倍数ならば、Xは10の倍数である。」は真か偽か?

っていう問題があったとすると、これは偽ですね。

なぜなら、X=15の時成り立たないからです。このX=15っていうのが一つの反例です。


この単元は、反対意見を見つける練習なんかなって思いました!

だから結構重要なんだなって。


結論、強い意見とか作ろうと思ったら、反対意見を考えてぶつけてみるっていうのが大事!

ってことですね。


読んでくれてありがとうございます!


またね〜!








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