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中山太陽堂と資生堂の1920年代 Ⅰ

以前の記事で阪神間のモダニズムについて軽く触れました。

今回は図録をもとに阪神間の文化を考察するつもりでしたが、華やかな女性文化が活発であった1920年代を軸に、阪神の中山太陽堂と銀座の資生堂を比較してみたくなりました。ただ、東西の化粧品会社でこの2社を比較するのは少し違和感がありますが、幅広く都市文化の形成に携わり、欧米の様々なモードを発信していた資生堂を外すことは出来ません。

中山太陽堂のライバルとして有名だったのは、レート化粧品の平尾賛平商店であり、「西のクラブ、東のレート」と並び称される程でした。

大正9年衆議院議員の永井柳太郎が「西にレーニンあり、東に原敬あり」との表現で時の政府を糾弾、「西に、東に」が名調子としてもてはやされた。当初は「西にクラブ、東にレート」として伝えられていたが、後に「西のクラブ、東のレート」となった。

化粧品のブランド史

今回は2社を比較する前に、1920年代の特徴を軽く挙げておきたいと思います。

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