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【感想?レビュー?】トワイライトシンドローム 探索編/究明編 やわらかな夕焼けと青春の思い出

こんにちは、なるぼぼです。

トワイライトシンドロームの探索編、究明編をクリアしました。
ムーンライトシンドロームで気になってようやっとのことで回収し、楽しく遊ぶことができました。
いつもの通り、感想を書いていこうと思います。
よろしくお願いいたします。
先にやったムーンライトシンドロームの記事は以下をご覧ください。

1.アドベンチャーの面白さ

さて、最初はゲーム的な面白さの話。

本作発売以前のホラーゲームというのは、どちらかというとノベル傾向が強いものでした。
例えば「弟切草」。
例えば「学校であった怖い話」。
その一方で、アドベンチャー形式のゲームは「クロックタワー」ぐらいのもので、まだまだホラーゲームには開拓の余地が残されていました。

そんな中で発売された「トワイライトシンドローム」。
発売元が「クロックタワー」と同じHUMANということもあって、最初はアクション寄りのゲームかな?と思っていました。
「クロックタワー」はアイテムを探しながらもシザーマンから逃げ回る形式のため、アクション性が高いゲームになっています。
ただ、このゲームはそういうゲーム体験とは違って、「体験できるノベルゲーム」に近いと思います。
仮に何かから逃げるとしても「クロックタワー」のようなアクション性を求められるシーンはないです。
また、選択肢の決定やキャラを動かして道を選ぶぐらいしかプレイヤーにできることはありません。
アドベンチャーという観点だけで見るとやることが少なくて、退屈なように感じます。

しかし、このゲームはゲーム性以外の部分でゲームを補強しています。
女子高生のリアルさ、ストーリーの面白さ、1話ごとに設定されているどこか穏やかな雰囲気、そうしたものを余すことなく感じることができます。
そうしたものは本来ホラーゲームには必要ないかもしれません。
でも、このゲームはあえてそうした部分を強く出すことで、作品としての特徴を十二分に発揮しています。

これの凄い点が、これがホラーゲームの黎明期に生まれたということです。
ホラーゲームの黎明期だとすると、ホラー要素を全開にして雰囲気はずっと恐怖感、不安感を演出するようにすると思います。
「バイオハザード」とかはわかりやすい例ですよね。
どこから出てくるかわからない恐怖、というのがつきまといます。
その一方で、本作はそういった雰囲気とは劇的に違うんです。
会話も時々くだらないものが入るし、世界観もずっと怖いというお化け屋敷的な雰囲気を保っているわけではない。
そういったものを初期に生み出している点が、ホラーらしくないという意味合いですごいと思います。

2.選ばれたジュブナイルとリアリティ

続いてキャラクターの話。

本作はアドベンチャーでありながら、何の特徴もない女学生が主人公になっています。
チサトに多少の霊感はあるものの、気づくことができるだけで特に対策できるわけではありません。
しかし、巻き込まれたというありがちな展開ではなく、ミカの噂を起点として自分たちから怪異に向かっていくという部分は、従来の非対抗系のホラーゲームとは違うところだと思います。

本作の面白いところは、これら女子高生の当時のリアルが、ありありと表現されている点です。
特に印象的なのが岸井ミカ。
彼女はルーズソックスをはき、今どきの音楽を聴いて、ポケベルを常時身につけながら歩くような「今どきのイケてる女子高生」です。
ただ、これは思いっきり当時の「イケてる女子高生」です。
今から見れば超ダサい…とまでは言いませんが、「当時の人だな~」という印象を受けます。
そうした時代を感じる部分も、当時のリアルを再現する特徴だと思います。
彼女は「ムーンライトシンドローム」では主人公を張るキャラクターになりますが、本作ではそちらとは違ったミカの雰囲気を楽しめます。
まぁムーンライトはなかったようなものなので今語るのも微妙な話だとは思いますが…。

さて、こうしたジュブナイルのリアルさや時代のリアルさは、演出面でも強く表現されています。
例えば電話。
ミカのポケベルもそうですが、ホラー演出のときに公衆電話が用いられたり、友達から家電がかかってきたりと、どこか世代を感じるような演出が所々に出てきます。
また、ユカリの部屋の中にラジカセが置いてあったりする点にも時代を感じます。
ジュブナイルの点だと、第2話のフジタマユミと奥野先生の関係、ユカリの過去、第6話のタタラ君のいじめなど、高校生の複雑でダークな人間関係や高校生活の難しさなどが丁寧に描かれています。
これは特に究明編の方が多く描かれている印象です。
探索編はどちらかというと怪奇を探すホラーゲームというような印象が強いです。

あと、音楽に関してもここで。
本作はかなり音楽に力が入っています。
「ムーンライトシンドローム」もセリフ回しでストーリーを進める展開が多かったために音の印象が強かったのですが、本作も音の印象が強いです。
特に第5話の女の子たちの声。
もうASMRやんけ、というぐらいのささやきボイスでした。
ヘッドホンしてプレイしていたのですが見事に変な気持ちになりました。
なんでやねん。
こうした左右に振るような音だけではなく、音の強弱なども弄っているために、音に関しても強いリアリティを感じる作品でした。

本作は様々なリアリティが見事に作品のスタイルにフィットしていて、プレイしながらそういった演出面を楽しむ余裕があるという点が、作品全体の面白さを出していると思います。

3.霊に頼る、ということの難しさ

さて、続いては本作のストーリーの話。

本作のストーリーは基本的に霊的存在との邂逅がメインになっています。
どの話でも、基本的に霊的なものが出てきてそれに対処しよう!といったような話になっています。
そしてどの話も、グッドエンドを目指す場合には霊的な存在をあの世に返してあげるような展開になります。

本作の特徴は、敵のような存在である幽霊に、何かしら悲しい話が混ざっているという点です。
幽霊側は基本出たくて出てきたわけではなく、悪意がなく何かしら悲しい思い出に縛り付けられているケースがほとんどです。
そういう人たちを相手にするからこそ、ユカリたちにはあえて対抗手段がなかったり、すぐ逃げるような発想にならないようになっているのかもしれません。

そうであるからこそ、この作品のストーリーは考えさせられるようなラストを迎えることが多いです。
例えば第6話のタタラ君。
タタラ君は同じバスケ部の男子たちから壮絶ないじめを受け、その後自殺してしまいます。
亡霊として出てきた彼はいじめの事実に「それは違う」と否定し続けますが、チサトたちの説得によってようやく真実を話し始めます。
タタラ君はその後姿を消しますが、彼が救われたかどうかというのは曖昧な表現でぼやかされています。
ただ、一枚絵に花瓶に差された花が彼の救いになっているように表現されています。
ユカリにいじめたことを追求されたサエキはどうなっていくのか、タタラ君の母親はユカリたちの言葉に何を思ったのか、最後までわからないところはありますが、いじめの凄惨さを伝えるとともに、静かに終わっていくような幕引きは印象的でした。

また、9話のラストが僕の中では印象的でした。
9話ではユカリたちが間違った伝承によってゲートのようなものを開いてしまい、死者の世界から亡霊がたくさん学校に入り込んでしまいます。
彼らはみな苦しんでいました。
ユカリたちはそんな奇妙な霊たちに翻弄されながらも、封印の儀式を実行し彼らを死者の世界に返してあげます。
その後、平和になった世界の一枚絵が流れながら、チサトがこんなことを話します。

生者と死者…
この二つの間を分かつものはいったいなんでしょう…
自分たちもやがて彼らの仲間入りをするのは確かなのに
わたしたちは、怯え、恐れて距離を保ち続けます

住む世界を完全に分けられたあの人たちが、わたしたちの世界を
どのようなまなざしで見ていたのか
わたしたちが開いてしまったあの出入口の輝きが
あの人たちにはどのように見えたのか

(中略)
胸が締め付けられるような気がします
これは、わたしたちが死者という存在に近づきすぎてしまったゆえに抱く感慨でしょうか…

これを見た時、衝撃を受けました。
生者と死者が表裏一体であるとして、私たちが死者の世界に触れたことでお互いが何を思ったのか、という点が語られています。
こんなこと普通は考えません。
死者の世界というものが、僕はないと思っているからです。
死後は何もないと思っていたからです。
でも、本作は死後の世界というものが目に見えるものとして出てきて、ユカリたちはそうしたものに触れました。
そんな中で、チサトの述懐に見られる「死者の気持ち」と「生者の気持ち」というものが、とても考えさせられるものだと思います。
そして、チサトはこのように結びます。

この穏やかな生者の風景の中で
わたしたちは、いつまで生という夢にまどろみ続けていることができるのでしょうか…

この締め方。
ぼくたちは穏やかに最後を迎えられるわけじゃない。
学校に出た霊は若者が大半でした。
だからこそ、現世への思いがあって苦しんでいました。
そうした霊を見たチサトは生に対して「夢」という単語を与え、苦しみながら現世にしがみついてしまう死との境目を意識させました。
生を「夢」と表現するチサトの文章のセンスに、驚きが隠せませんでした。
生を夢とするならば、死こそが現実になる。
死が現実になるということは、夢である生は一時的な快楽でしかありません。
死ぬことは無限の苦痛なのか。
そうした生と死の関係の難しさ、どちらを「現実」と認識するかという難しさ、こうした点にチサトの言葉の重みがあります。
こうした話の美しさ、締め方の良さはこの作品独特のものだと思います。

4.伝説の10話

実は、本作は9話が終わるまでは「微妙だな…」と思っていました。
正直霊感ものは非現実的すぎる描写が多過ぎてあんまり好きになれないし、誰かの精神世界でもなく妙にファンタジーな感じがするので正直微妙な気持ちでいっぱいでした。
タタラ君や裏山の話とかは誰かの無念があったりしてそこそこ好きではありますが、やっぱり理論的じゃないというか、そんなに話に馴染めなかったような気がします。
「ムーンライトシンドローム」はまだ人の狂気があっただけ僕は好きでしたし、結構なお金払った割には…。と思っていました。

しかし、10話をやった瞬間に評価が一変しました。
10話の完成度があまりにも高すぎるんです。

というかあまりにも10話の雰囲気が好きすぎる。

第10話は、滑り台の周りに消えた向かいの女の子を探して、ユカリたちが調査を行うという回です。
滑り台を何度も滑っているうちに、ユカリたちはいつの間にかどこか古い、夕焼けが続く街にたどり着いてしまいます。
そこは死者の無念が洗い流される街でした。
ユカリたちは記憶の忘却と戦いながらも、街からの脱出を目指します。

そんなあらましではありますが、この話のとんでもないところは世界観です。
10話の街ではずっと夕焼けが続く、ちょっと古い街並みが続きます。
最初は古い街並みに魅入られていきますが、段々と話が進んでいくと夕焼けの赤みが強くなってきて、哀愁がより高まっていきます。
ホラーゲームかつしっかりと霊的存在がいて、ユカリたちにも危険が迫っているという今までと変わらない展開でありながら、ホラーにありがちな夜の風景を無視して夕焼けの街並みを延々と映し続ける。
とんでもないです。
今までが夜の描写が基本になっていただけ、より印象的に映ります。
そうした世界観に、古い街並みが広がっている。
なぜか僕も懐かしさを覚えてしまうような、そんな雰囲気の街並みに僕はすぐに虜になりました。

そして、このストーリーではユカリの過去に関するフラグがすべて回収されます。
ユカリが思い悩んでいたこと、気難しい女子高生に降りかかる災難の数々。
教育実習生の彼氏と折り合いがつかなかったこと、親が離婚して母につくしかなかったこと。
こうした悲しい思い出が、ユカリの中に流れ込んできます。
その一方で、ユカリはあの街の旧校舎で、彼氏との出会いやチサトやミカとの出会いといった過去の思い出を拾い集めていきます。
そして、彼女は過去の悲しい出来事を見て苦しみ、素直になれない自分に酷く後悔します。
そして、やり直したい、戻ってやり直したいと思うことで、街を抜け元の世界に戻ろうとしました。

ユカリはずっと色々な苦労を作中でリアルタイムに感じることになりますが、それでも彼女は気丈に耐えていました。
でも、結局彼女も悲しい思いをしていて、耐えることはできなかった。
それを夕焼けの街で感じてしまった。
それでも自分の態度を後悔して、自分のやってしまったことを変えたいと思ったことで、街から抜け出すことができた。
その後のユカリのことは一切語られませんが、彼女の中での思いは大きく変化して、人として成長したと思います。

こうしたストーリーの重要性でも、10話は完璧なお話でした。
感動してウルッときましたし、世界観には憑りつかれるようにスクショを撮りまくりましたし、ホントに最高でした。
あの夕焼けの街が、僕を引き込んでくれました。ありがとう。

5.ムーンライトを再解釈する

さて、最後は本作をクリアしたうえでの「ムーンライトシンドローム」の再解釈です。

まず、ムーンライトの感想の根幹である「サイコキネシスはクソ」は大して変わっていません。
チサトは霊感を感じる程度ですし、そもそも本作にバトルめいた要素は一切なかったので、キャラ崩壊もいいとこです。
あまりにもひどい。
トワイライトで感じたユカリの成長も特になく、チサトの霊感めいた暗示や対話の要素もなく、ミカのぶっ飛び具合はアリサに受け継がれているものの、やっぱり意味不明のストーリーラインでは役に立たず。
こうしたキャラクターの受け継ぎという上では明らかに失敗しています。
酷すぎる。

とはいえ、ムーンライトシンドロームで学んだこともあります。
それは「僕は人間の狂気を見る方が好き」ということ。
話のスタンスとかはムーンライトの方が好きなんですよね。
スミオの狂気とかは見ていてやばいと思いましたし、理解不能とはいえ人間らしい行動と動機があることは霊的なものよりも合理的だと思いました。
霊的なものを扱った作品ってどうしても非現実的でそこまで好きになれないんですよね。見えないし。
それなら映画の「サイコ」とか「シャイニング」みたいな、人間が狂ってありえない行動をしてくる方がよっぽどイカれてる感じがして好きです。
真に怖いのは人、ってね。

さて、ムーンライトで気になっていた「浮遊」の解釈ですが、トワイライトをクリアしてやっぱり合っていたと思いました。
ユカリの10話での成長と、ミカの「浮遊」での成長は似ているようにも感じます。
それでいて、最後のしっとりとした終わり方は、トワイライトの最後に語られるチサトやユカリの述懐に似ているように感じます。
社会問題を扱っている点も、究明編のお話に近いですし。
「浮遊」に評価が集まるのも、他の話の酷さも相まって納得できるような気がします。

こんなところですかね。
やっぱりクソゲーだとは思いますが、やりたかった「霊的なトワイライト」と「人の狂気のムーンライト」の対比はしっかりできているとは思うので、やっぱりサイコキネシスとかキャラ崩壊とかミトラ暴走がなければいい作品になっただろうな…、と思います。
まぁ高校生の話であれだけの凄惨な描写をしなければならなかったのなら、トワイライトにあった平和的な解決を行うなんてことはサイコホラーではほぼ不可能なので、あんな風になってしまうのも無理もないかもしれませんが…。

6.終わりに

いかがでしたでしょうか。

正直トワイライトに関してはバッドエンドを見たり、手探りで大吉エンドを探してみることも面白さの一助だと思うので、また記憶がなくなってきたときに攻略なしでやった方がいいと思ってます。
最短で走るために攻略を見たのですが、なんというかもったいなかったかもなぁ、なんて思っちゃいました。
当時のやり方で、手探りで色々なものを見ることも、本作の楽しさを高める要素になるかもしれません。
それはそれで楽しみです。

さて、次回に関してですが「パラサイトイヴ」を検討しています。
あと「アバドン王」はしっかりスランプです。
良いゲームだったのでちゃんと書きたいんですけどね…。
まぁ早い方を更新します。お待ちください。

それでは今回はこの辺で。
さようなら~。

おねえちゃん、まってるひとがたくさんいるね。きこえない?

バイバイ…


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