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「ものの差異が『存在する理由』を明らかにしてくれるかもしれない」の話

●「恐らくは、全ての存在に『その存在である為の理由』が(いくつも)あり、その理由がなくなった時『存在する為の理由』も失うはずである。」

長らくボヤっと頭の中を支配していたイメージの一側面がこの言葉で表せたような気がする。

末端の個存在、個が集まった集団、集団を束ねた超集団の様なミクロからマクロまで、そして物質であろうと非物質であろうと、あまねく存在は何かの為に存在しているはずなのだ。

「今はスピリチュアルな要素で受け入れられ難い『目に見えない何か』」や「重力とか量子の本質」、「世に生じる非科学的なイベント」は人類がまだ到達していないステージに存在する何かに起因しているのだと、私はどこかで思っている。

そして人がまだ見ぬ何かのその一部、公理の様な物が上記の一言であると。

●自然に生まれたものすべてに存在する理由があるはず

言い換えるなら「その存在には何らかの本質が備わっている」のであり、(私も含めて)ほぼ全て存在は「自らの本質を認識する事」も「形にする事」も出来ていないのだと考えている。

だがある意味必然なのだとも思う。

というのも、その正体が高次元的なものだとしたら、2次元存在が3次元存在を認識できない様に、「それを認識する為の最低条件すら満たされていないから」だ。

そもそも宇宙が誕生した時から4次元時空間だったのだからそれ以上の次元を主観的に理解するのは難しく、せいぜい「間接的に理解できるかもしれない」程度なのだろう。

本質の認知・具現化には「想像もつかない新しい手段」が見つかるまで時間が必要な様である。

注意したいのは「必ずしも『有機的存在でなければならない』という訳ではない事」、シリコン生命体やアンドロイドはもちろん、果ては鉄くずや石ころ、草木、空気にも本質はあって、「存在しうるなら必ずしも人格や精神を有する必要はない」のだ。

なので人が作った何かには「人が与えた存在する為の理由(本質)」があって、それがなくなれば破棄・処分される。

同じ様に「自然的に生まれたもの」にも本質は存在し、ただそれを認識する方法がないだけなのだ。

この時、人によって「自然的に生まれたものの本質は『神』によって与えられたのだ」という事があるが、私はそれは違うと考える。

もし絶対無としての神、つまり「あまねく存在の後ろに存在し、何時・何処にでも存在し関与するそれ」を示すなら私の解釈と相違はないが、人の世で崇められる宗教の「人の形をした神」であれば同意しかねる。

が、これについては長くなるのでいずれ考察しようと思う。

● 「方向性が違う程、後々思いもよらない相互作用が期待できる」かもしれない

ある人は「個としての人の本質を理性、集団としての人の本質を文化」といったが、一側面を照らす回答としてそれも正しいと思える。

しかし論点はよりメタな視点、つまり「人は理性・文化をもって『何を目指すのか』」にある。

さて、実は私には「停滞・後退を戒め、日進月歩技術・文明的なものを進化させ、種の繁栄を進めよ」という進歩主義的な価値観がある。

「権威の跋扈に諦めを抱く市民を憂い、その淘汰とあるべき姿の将来を祈るスタンス」は古く17世紀のフランスに通じる考え方であり、個人的には「多くを知り、賢く善く道具を使う事で、自他は幸福を享受できる」と考えている。

しかし価値観はそれに限らず実に多種多様だ。

何が言いたいか、「無意識的・潜在的に、人は理性・文化をもって『本質の認識・具現化(存在理由の探求)』を試みているのではないか」という事である。

ここで一つ、どこかの超銀河団に「支配する領内に『産業的・研究的に必須な資源』がなくなりつつあり、更なる資源が必要ないくつかの星間国家」があったとする。

今は各々の国民を養う事は出来ても将来的に危ぶまれるのは確実で、また軍事面・経済面においてもお互いに他国に対する優位性が確保できずにいる。

その為領土戦争が起こって誰が勝とうと著しく荒廃し、遂に「勝者のいない絶滅戦争」になるだろうと危惧されていたとしよう。

絶滅戦争を回避すべく多くの国家では省資源化や外交(一部では神頼み)に資源が割かれ、世は暗澹たる雰囲気に呑まれていた。

誰から見ても不足しているのは「資源を獲得する為の手段がないという事」、資源不足を打破するブレイクスルーだが、とはいえ誰も思いつかないからこそ困っていた。

そこに、自国でかねてから研究されていた(他国が手を出していなかった)物理学の領域から「ブラックホール航行の新技術」が提唱・実証され運用されたとしたら?

未観測の危機が待ち構えているかもしれないが、未着手の資源が眠っている可能性をも示しているのだ。

そして到達した未開領域は比較的安全で「豊富な産業的・研究的資源が存在する事」が明らかになり、他国に先んじていち早く投資する事で所有が実現する。

そうして自国は恵まれた資源を元手に「他国に対する軍事的・経済的優位性」を獲得し、更には他国を属国化する事で(支配される形にはなれど滅亡は避けられ)周辺領域における安定を手にする事ができるかもしれない。

他方「『他国の外交的努力』によって星間連邦を結成、技術・文明的な枠組みを作った事で別の形でブラックホール航行の技術が確立されて共倒れの回避と共に世界に安寧が訪れる」という結末や、「『終末こそが神の望み』として宗教国家が絶滅戦争の口火を切り、世界は終焉を待つに至る」という結末も想像できる。

上述はステラリスの構図からの例えで、別にそれ以外にも例え様はあると思うが、つまり「『多くの人が見落としている何か』を見つける為に、探究は全方位的に向けられるべき」という事だ。

(もし全ての存在が同じく「従来の延長線上を追求する事」だけを目指したとして、しかし独力ではブレイクスルーを果たせる技術を発見できなかったら?
もし全ての存在が「外交努力」を選択肢から除外して国家間に技術的な枠組みが作られなかったら?高まる緊張に何らかのキッカケが生じて絶滅戦争が始まっていたかもしれない。)

一番に据えるものがそれぞれ「従来の延長線上を追求する事」や「既存の何かを洗練させる事」、「相談しながらより良い関係を探る事」や「快きや信じる事を追求する事」の様に異なるのは悪い事なのだろうか?

千差万別ある価値観のその差異・所以に応じて手段や目指す所も異なるとしても、それだけ得られるものはあるのではないか。

●一人では生きていけないからこそ、種単位で生きる手段を探している?

ここで上述の文言「無意識的・潜在的に、人は理性・文化をもって『本質の認識・具現化(存在理由の探求)』を試みているのではないか」に戻る。

結論「人は価値観に応じて関心を全方位に向ける事で、道具としての理性・文化を用いて『存在の本質を認識する事』を試みているのではないか」という事である。

●一人では生きられない人間は少なからず何か・誰かに頼り・寄りかかり、そうして相互依存の延長に社会が形成される。

●個が「評価される何か」を見つければ個には頼る・寄りかかる先は増え、自らの求める所を求めやすくなり、「評価される何か」は「社会に頼る・寄りかかる誰か」に頼られ・寄りかかられる。

●頼られる・寄りかかられる社会は常に「より良い何か」を渇望し、それをもたらす者には「頼る・寄りかかる余地」を提供する。

上の3つは世間の常識だが、「人は社会に還元される『まだ見ぬ何か』を得る為に、千差万別ある『価値観や解釈の違い』の数だけまんべんなく全方向にその手を伸ばし、『自分とは何か』を得ようとしている」と考えている訳である。

閃きを得るには母数が多い程いい訳だが、「社会は差異の数だけ『存在する理由(本質)』を得る可能性」を持っているのだ。

そして社会に頼る個人は社会に還元された何かを基に更なる何かを還元し、その連鎖や相乗効果がブレイクスルーとして次元を超えて「本質を見せてくれる」。

そういう訳で私は「本質の認知・具現化には『想像もつかない新しい手段』が見つかるまで時間が必要な様だ」と述べたのだ。

●でも、世界はもっと単純かもしれない

魂の本質(存在の理由)を見つけられた呪術廻戦の真人はそれだけで人間を超えたと言えるし、その姿を形にして見せただけで唯一無二だと思わされた。

また「苦痛の様な『身に生じるネガティブ』は、きっと恒常性に逆らって生じる『本質に近づいている証拠』なのかもしれない事」も今回これを書くに至らせた。

だが依然「『本質や存在理由、目に見えない何かや重力とか量子の本質、世に生じる非科学的なイベント』なんかは存在せず、世界はもっと単純なのかもしれない事」はあり続け、私はできないなりに「私のこれまでの選択と存在する理由」を探していく。
(それよりも早く世界や私が死ぬかもしれないけれども)

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