小説家になろうと消費社会─なろうのテンプレとその差異の消費について

大人気の小説投稿サイト「小説家になろう」の作品にはテンプレート(テンプレ)があるとされる。異世界転生など「おなじみ」の設定があるのは読者のみんなもわかっていると思う。もちろんテンプレは変わっていく。一時期「トラック転生」と揶揄された展開、すなわちトラックに轢かれて(または電車など、とにかく乗りものによって殺されて)転生する展開があったが今では少数派となっている。

このようなテンプレに頼らない作品もたくさんあるのだが、今回はこのテンプレについて考察していきたい。テンプレ的展開はしばしば叩かれがちだ。確かに一見独創性がないように見える。しかし、ここで注目すべきは多くのなろう作品はテンプレに乗っかった上でどう個性を出しているか?という話なのである。

なろうの一部は、口が悪い人には「ナーロッパ」とバカにされる。中世ヨーロッパ「風」の世界(決して中世ヨーロッパと同一ではない)で剣と魔法の世界だというテンプレはたしかにある。しかしよく個々の作品を読んでみると、それらは似通っているが微妙な差異があることに気づく。魔法が存在するのは共通しても、その魔法に対する扱いや設定は各作品で異なる。なろう小説に慣れてない人は「同じじゃん」と思えてしまうような些細な違いの場合も多々ある。

なろうの読者はこの些細な差を敏感に感じ取って、各々の作品を楽しんでいる。ここで行われる消費は実に高度なものである。ボードリヤールが消費社会を鋭く考察したような仕組みがなろうにもある。

少し話がずれるが、我々も商品を買う際も自然と小さな違いを見つけて好みのものを選んでいる。例えば自動車、それも軽自動車を購入する際を思い浮かべてほしい。ほとんどの軽自動車は性能は同じである。今の高度に発達した軽自動車のエンジン性能は排気量制限もあって各社ほぼ同一であり、エンジンに限って言えばターボか自然吸気かの違いしかない。車のデザインも車体サイズの制限により、なるべく大きな室内空間を得ようとすると同じようなデザインやレイアウトになる。以下の画像を見てほしい。

画像1

画像2

ホンダとスズキの軽自動車だが、このように制限の中同じようなコンセプトで自動車作りをすると似た感じになる。実際は車業界のトレンド、つまり流行りも加わって余計近似的な車が出来上がる。

我々消費者はこの似ているデザインの中から自身の選好を反映した車を選び出す(尤も一部には「ホンダ党」「スズキ党」のように車メーカーだけで決めている人もいるだろう)。それは人類史の中で最も発達した高次な消費と言っていい。これとなろうも同じなのである。なろうは読者にウケるために同じようなテンプレの作品を書く(からつまらない)と批判されるが、実際には我々が軽自動車の末梢的な違いを感じ取るように、なろうの読者は外部から見たら微々たる違いを把握し、好みの作品を決め、熱心に応援している。

このテンプレとその中の小さな差異を楽しむのはオタク文化で二次創作を楽しむのにも似ているのかもしれない。二次創作には元となる一次創作があり、一次創作で公式から提示されたキャラ設定などを反映しつつ、新たな話を作り出す。キャラのみを抜き出し、新たな世界─例えばシリアスな漫画を学園モノにするなど(いわゆる学園パロ)─でキャラを動かすのは東浩紀の「データベース消費」ともつながるのかもしれない。しかしあくまで公式の設定を守るのが普通とされており、それを破る場合「キャラ崩壊」などのタグを付けて投稿する例が多い。

このようなテンプレを理解しつつ、相違を楽しむ一面がなろうには文化として存在する。なろうは低級なものとこき下ろす人もいるだろうが、私はこのような高度な消費の側面を評価していきたい。現代人の病んだ精神がなろうの「努力してないのに能力を得て、最終的にハーレムを作る」「実際はすごい能力を持っていたのに、正当に評価されず、冒険者のパーティーを追放されてから評価される」などの作品を求めているのは確かかもしれない。なろうは欲望充足の拠り所なのかもしれない。しかし繰り返すが、私は高次な消費を行う読者とそれを提供する作家というコミュニティは文化的に豊かなのであり、現代の最先端を走っていると言いたい。


以下、書きたいけど書ききれなかったことを箇条書きで(あとでちゃんと書く予定)

・なろうはテンプレさえ守っていれば、どんなにクレイジーな設定でも読まれる。テンプレは枷と感じるかもしれないが、むしろテンプレは作品の自由度を上げるものでもある。例えるならば、往年の日活ロマンポルノが「セックスさえ入っていればあとはどんなストーリーでもよい」という形だったため、新人監督がセックス入りの難解なアーティスト映画を作っていた等。

・また上記に加えて同人音楽の東方アレンジも似た要素がある。東方アレンジは「東方に関わる曲をアレンジしたもの」ならゴリゴリのヘヴィメタルから、EDM、ポップス、クラシック、ジャズ、ノイズミュージックに至るまで受け入れる懐の広さがある。そしてファンもそれを受け入れている。この「東方アレンジなら何でも大丈夫。ファンも聞く。」という図式は「なろうのテンプレなら何でも大丈夫。ファンも読む。」と同一であり、豊潤な、様々な作品が受け入れられる定礎となっている。

・これらの面からなろうはとてもおもしろく、またいくつか作品を読んでこの面白い世界に浸っていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?