青の鋼のアルペジオが面白かったという話

アルペジオについて

 青の鋼のアルペジオというアニメを観ました。観た理由に関しては、先日ものすごい悪夢を見たんですがそれに関して最近ストレス結構溜まってるんじゃないかという指摘を受けたので、命の洗濯ということでアニメでもだらっと見る時間でも作ろうかと思ったところ、フォロワーさんが観てたということで観てみようかと思った次第です。

 私は戦争や歴史が好きで、特に軍艦というものに関してとても興味があるというか好きな分野なので、軍艦モノのアニメということでちょっと気になり、その日のうちに一気見しました。
 感想としては結構面白かったなという感じで、オープニングムービーなんかクソかっこよくてオープニングの曲はApple Musicでダウンロードしました。

 で、私は前に艦これのアニメを少しだけ観たことがあって、艦これも少しやったことあるんですが、個人的に艦これというコンテンツにそこまでハマりきれないという部分はあって、でもそれが何故なのか、軍艦というものに対する興味や関心が強い自分は何故ダメだったのかというところを考えていたのですが、アルペジオを見た結果何がダメだったのかというのがわかった気がしました。

 アルペジオのあらすじ等に関しては、wikiから引用させていただきます。

西暦2039年、温暖化の影響により地上での版図を大きく失った人類の前に、突如として世界各地へ霧と共に、第二次世界大戦時の軍艦を模した正体不明の大艦隊が出現。現代の科学力をはるかに超える超兵器と、独自の意思を持ち乗員なくして動く“霧”の艦隊と名づけられたその勢力により、人類はほぼ海上から駆逐された。シーレーンも、海を隔てた長距離通信も絶たれ、人類は各地に孤立する。事態の打開策も見出せぬまま、経済活動や政治・軍事の混迷により人類同士での内乱も生じ、衰退への道を転がり落ちていった。
“霧”の艦隊の出現から17年後の西暦2056年、元士官候補生の千早群像とその仲間達は潜水艦イ401に乗り込み、人類にも“霧”の艦隊にも与せず独自の航路を採っていた。彼らの存在は双方の勢力から危険視される。
きっかけは、海軍提督だった群像の父親千早翔像が戦死を遂げたことであった。士官学校の生徒として潜入中だったイ401のメンタルモデル(艦を女性に擬人化したナノマテリアルによる構成物)であるイオナは、亡き提督の遺言に従ってその息子たる群像と接触する。群像に触れたイ401は彼に指揮を委ねることを決意し、イオナを通じてその旨を伝える。見えない未来と打開できない現状に閉塞感を抱いていた群像はイオナの提案に従い、イ401に乗艦した同級生たちと共に横須賀を離れる。
やがてイ401の独自行動は“霧”の艦隊の東洋方面巡航艦隊の軍団長コンゴウに危険視され、戦艦ヒュウガが刺客として差し向けられるが、イ401はヒュウガを撃沈する。更に事態が看過できなくなったことにより、重巡洋艦タカオがイ401の撃沈に乗り出すが、撃沈したヒュウガのパーツを組み込んだイ401に敗北する。撃沈されたヒュウガはメンタルモデルを構築して群像たちに協力していたのである。さらにタカオもまた群像に心惹かれ、“霧”の艦隊を離れる。人間が“霧”の艦隊を圧倒する理由こそは、“霧”の艦隊が持ち得ない『指揮官』や『戦術』という概念だったが、彼女たちが群像を見込んで“霧”を離反した理由は、そんな単純なものばかりではなかった。様々な出来事により東洋方面巡航艦隊の艦たちは群像の協力者となっていき、やがて蒼き鋼と呼ばれる艦隊に集結する。
人類の切り札となる新兵器振動魚雷のアメリカ合衆国への移送依頼を受けた群像。これを阻止しようとするコンゴウとの死闘が始まる。

 という感じで、フィクション作品で出てきがちな伊四〇一号潜水艦のお話ですね。

アルペジオは完全なるフィクションである

 結局はこれに尽きると思うんですよ。というのは、リアルな軍艦の映像が見たければ戦争映画や、小説や、歴史を正確に再現したアニメ、ゲームなどありますからそういうものを見たり遊んだりすればいいんです。何故美少女が登場する軍艦アニメを見たいのか、それはそれがフィクションであるからです。

 艦これに関してもそうなんですが、フィクションでありつつもある程度歴史を踏襲していて、微妙にリアル要素が存在しているというのが個人的に違和感を感じていたんだなとアルペジオを見て思いました。リアル路線なのか、完全なフィクションなのかはっきりしてくれと。
 もちろん史実の軍艦や歴史へのリスペクトというものを感じる部分でもあります。そこはそうなんですが、ただ前提として擬人化というフィクションが大きく存在しているのに、そこで妙なリアル要素を出されると「??」となってしまうのです。歴史に寄せるのか、フィクションに寄せるのか、ハッキリして欲しいなというのが個人的な感情です。
 例えばガルパンなんかは前提に戦車道という大きな壁があって、でもそこから先はスタンダードなスポ根ものという点で艦これに近いという感じもあるのですが、ガルパンもあくまで歴史というコンテンツにはそこまで寄せず、スポ根というところに寄せたのが良かったようにも思います。

 アルペジオに関してはあらすじにもあるように未来の話であり、敵の軍艦もWW2時の軍艦に似ていますが似ているだけで武装は全く異なっていてビーム砲を発射してきたりしますし、艦のいろんなところにVLSが設置してあってミサイルを発射したりします。
 なんなら敵の大型軍艦や、主人公艦である伊四〇一には超重力砲という武器が搭載されていて、簡単に言えば宇宙戦艦ヤマトの波動砲のような強力な武器であり、そしてそれを発射するためには軍艦自体が大きく変形したりします。そういう点が「宇宙戦艦ヤマト」的な感じを感じて、フィクションとして成立してるなという風に感じるところでした。

擬人化の理由づけが存在する

 擬人化アニメに関して文句をつけるわけじゃないのですが、艦これの軍艦が何故擬人化しているのかというところに関して私は納得する理由を聞いたことがない気がします(存在するのかもしれませんが)。

 アルペジオに関してはその辺がある程度説明されていて、人類に対して猛威を振るった霧の軍艦たちには「戦術」という概念がそもそも存在しなかったので、それを習得させるためにメンタルモデル(擬人化)という概念を導入し、戦術能力を会得しようとしたということらしいのですが、つまるところこれはただ目の前の敵を倒すだけの戦闘艦艇だったものにAIを搭載したということと言えると思うのです。
 そしてそのAIが戦術を理解し、思考能力を発達させていく中で様々な「感情」と言ってもいいようなものが発生し、葛藤するというのも昔からSFでよく扱われてきたテーマであるところで、かつ納得できる部分であるのです。

戦闘シーンの豪快さ

 実写戦争映画で現実でありえない戦闘シーンを見てしまうともにょるというのは歴史オタク軍事オタクには多い経験かと思われます。
 例えば戦争映画「フューリー」なんかで、主人公の戦車がドイツ軍重戦車の砲弾を食らっても無事だったりするのはどう考えてもありえないことで、まず間違いなく一撃で撃破されてしまうはずなのです。それでも「フューリー」は戦車兵の現実をリアルに描いていたので(爽やかな顔で戦車一両で無双するなどというのは現実ではありえない)割と好きなのですが。
 他にも「パールハーバー」とか、戦闘シーンの描写が微妙すぎて入り込めない戦争映画はとても多く、戦闘シーンにいかに無理がないかということが実写戦争映画の最も重要な点と言えると思います。

 じゃあアニメとなったらどうかというと、歴史再現系のアニメでない限りはやはりアニメにはアニメにしかできない描写をして欲しいのです。
 例えば「頭文字D」なんかは、実際にやったら車が壊れるような挙動をしていますが、そこで無駄な考証なんかをしてこぢんまりしたアニメにはなっておらず、漫画版の豪快かつ大胆な描写をそのままアニメ化していると思います。
 ガルパンなんかもそうで、実際の戦車を使っているものの戦車でドリフトしたり、ポルシェティーガーのモーターを使ってブーストしたり、驚きに満ちた戦術で敵を撃破したりと、現実ではありえないことをやってくれるからこそ面白いみたいなところがあります。

 アルペジオの中でも敵艦が潜水艦と一体化することによって潜水艦の探知能力を自艦のものとして戦うという戦術や、超重力砲を高速で旋回しながら発射することによって敵の大艦隊を薙ぎ払うなど、「絶対にありえないけど見ていて爽快」という描写があり、これをアニメに求めていたんだという気持ちになりました。

イオナがかわいい

 あとはもうクソどうでもいいんですがイオナめっちゃかわいいです。イオナは伊四〇一のメンタルモデルなんですが、めっちゃかわいいです。すこすこのすこ。

あとがき

 今回の記事はあくまで自分が艦これにハマりきれなかった理由はこれだ!という話であって作品自体を全て否定するわけではありません。あと今回アズレンもこの話の中に入れようかと思ったのですがアズレンに関しては全く私は知らないのでそもそもアズレンの勉強をするところから始めねばならず、今回は割愛しました。

 軍事オタクや歴史オタクとかいう存在は非常にめんどくさく、またこの世の中の多数派でもないのであくまで一個人としての私がそう感じた、というだけのお話です。

終わり

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