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今頃、横井庄一?

 BS1スペシャル「遺された戦争 残留日本兵 横井庄一」を10分ほど見た。記憶に残ったのは彼が隠れていた理由である。
 軍が現地人に弾薬を運ばせ。その場所が特定されることを防ぐために皆殺しにする。その様な残虐行為が頻発して現地人は日本人を大いに怨んだ。アメリカ軍がグアムを占領すると現地人は生き残った日本兵を探し出す為に武器の提供を申し入れた。1945年8月15日を過ぎても現地人による日本兵の掃討作戦は続いた。見つかれば殺されるから隠れる。だから27年間も隠れ続けた。横井庄一の証言は曖昧な点も多く、NHKも断言しなかったけれども、現地人との戦いになり殺したこともあったらしいと私には聞こえてきた。
 今までグアムで日本が虐殺を行った報道を耳にしたことはなかった。横井庄一が帰国した時期でも聞いたことはなかった。当然、現地人に対して虐殺を行った生き残り日本兵は語らない。彼らの多くは戦死したかも知れない。生き残りの日本兵や現地人の証言を集めようとしても無駄だったろう。要するに、終戦を迎えても日本軍が戦時中に行った虐殺行為を進んで報道はしなかった。どの国の国内報道でも、被害にあった苦しみは大々的に報じるのに国民が耳障りに感じる報道は控える。個人レベルでも同じで、自分自身や家族の恥は隠す。しかも、現在は個人情報保護法という錦の御旗がある。それと同様に戦争中の虐殺行為を明らかにする法律があってもいい気がする。
 死ねば皆、仏になる。戦死すれば神になることができる。死ぬことで人は無に帰す。そんな気もするし、それでいい気もする。日本人の信仰であり、精神的支柱である。死んで仏になった人の生前の悪事を暴くのは人の情として忍びない。こんな感情が私にもある。グアムの人や朝鮮や中国、東南アジアなどの外国人には受け入れ難い。どんな信仰を持っていても権力に命じられるままに虐殺行為を行なっていいことにはならない。
 権力に従うことは容易だが、反対することは難しい。幸い、戦争が終わって生まれ、平和な時代を生きて、残虐行為を命じられないで命を全うできそうな年齢になったことを喜びたい。

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