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行き着く先

 教師として勤務した知多半島はほとんどが給食センター方式で調理師の顔を滅多に見なかった。けれどもICT支援員になって自校方式の学校に勤務している。給食の献立を考える栄養教諭と呼ばれる教員と仲良くしてもらっている。彼らの仕事は児童生徒の栄養指導と管理である。具体的には給食の献立作成・食材の注文・食数欠食数の集計・アレルギー体質の生徒の対応。それに加えて学級に出向いて栄養指導も行う。ネットで調べたら栄養教諭の配置は必須ではなく任意とあった。つまり、給食センター方式を採用している自治体では仕事の主要な献立立案と食材の発注と調理室の維持管理は給食センターが行うから栄養教諭を配置しない自治体が多いらしい。
 今月から月曜と火曜は仕事がなく、散歩のために学校の裏にやってきた。妻がよく行く肉屋の車が学校に入り調理室前で停止するのを見かけて何かしら新鮮な驚きを感じた。栄養教諭がいて、調理室のある学校に勤めているから、給食で使う食材を肉屋が配膳室に納入するのは当然である。
「自校方式のおかげで町の肉屋が潤っている。」
なるほど、搬入するいろんな商店が市内小中学校ごとに数多くある訳だから町の経済は潤うことになる。センター方式にすれば納入業者は町の商店とは比べ物にならない大きな会社が担う。また、一箇所で作れば調理機材の管理や調理員の確保なども合理的になる。栄養教諭も置かずに済んで自治体の予算節約になる。しかし、教員をしていた時、給食は自校形式の方が断然美味しいと言う噂をよく耳にした。
 手間と暇(時間)を省いて合理的にすれば、自治体の経費は抑えられる。そして、利益は大きな組織に吸い取られて街の商店は潤わない。多少不便でも、合理的ではなくても、大規模なものではなく、小規模がいいと言う言葉を思い出した。
シューマッハー「Small is beautifull」
 美味しいか美味しくないかは人間の主観だが、食べた経験からすると自校方式の給食の方が確かに美味しいと思う。しかし、現在私は給食を食べずに弁当を食べている。私には妻の作ってくれる弁当の方が給食よりも、美味しく感じられる。規模が小さくなればなるほど美味しくなるらしい。弁当を毎日作るのは大変な労力を必要とする。親は働いて金銭を得て、食べ物は外食やコンビニで済ます。これは工場で行われる分業と同じ合理的な考え方である。外食を否定している訳ではない。食べることは本能であり、美味しいものは喜びを生む。美味しい料理は合理性・大規模化・分業化の対極にある。合理化の名の下に利益を得るために大規模化、分業化が不可欠であるけれども、行き着く先に幸せは見えない。

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