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神宮大麻

 新嘗祭では初穂や収穫物を納める。Wikipediaによれば、古代においては祭祀を主導した豪族がその費用や供物とするために支配民から徴収したものが初穂であったという。高浜の各町内会では各丁目の各班長が初穂料を集めると同時に神宮大麻を配布(販売)する。初穂料500円、神棚に飾るお札である「大麻」には1,000円を払う。神道に対する信仰は薄く初詣すら進んで行くことはないのだが、初穂料と町内会で配られる「大麻」を毎年欠かしたことはない。
 五年前の町内会長と4年間の氏子委員はシガラミから引き受けた。今年は7軒をまとめる班長を努めているので、妻が初穂料を集めに回っている。大麻を購入したのは我が家を含めて5軒、初穂料は7軒すべてから集まった。合計8,500円を6丁目の理事さんに持って行く。私の班は古くからある家ばかりだから、早くたくさんのお金が集まるらしい。ところが、今年は少し異変が起きた。
「領収書もらえる?」
昨年ご主人がなくなった家のお嫁さんから出た言葉だと、妻は憤っていた。
「払わないといけないの?」
領収書の質問をする前、開口一番の言葉だったらしい。
「任意ですが、皆さん出していますよ。」
こう答えたら500円を差し出し領収書を要求されたらしい。
「神社のお賽銭と同じだから領収書はありません。」
私も妻と同様に眉をひそめる。私たちが抱くような感情をご近所に持たれたくない気持ちが大麻のお金まで払うのだと思ったが、妻の感情はもっと現実的だった。
「今度、班長が回ってきた時、どんな顔をして集金するのか、見て見たいわ。」
あそこの嫁は出来が悪いと思われたくない気持ちは、今は昔の感情かもしれない。
 町内会長を努めた時、町内会が初穂料を集めたり、大麻を販売したりするのはおかしいから止めるべきだと発言した理事がいた。ただ、慣例として続いてきた事を止めるためには手続きがいる。政教分離だからと言って、今年から突然「止める」では納得できない人が出てくる。あの時、初めて初穂料の意味を調べた。結局、手続きの煩雑さを考えて今まで通りにした。反対意見を述べた理事は2年後に町内会長を努めたが、私と同様に初穂料集金を止めなかった。ただ、町内会長退任後に氏子委員を2年努めることになっているのを突然辞退した。私は彼の代わりに2年間余分に氏子委員を務めることになったので、随分彼を怨んだ。しかし、冷静に考えれば私の考えは出来の悪い嫁と氏子委員を突然やめた理事に近いのは事実である。

 先日、古希を迎えて心境に変化が生まれた。それは、孫や若い人のために少しでも綺麗な地球を残す努力をしたくなった。まず、高浜から大府までのマイカー通勤を電車に切り換えた。雨の日、暑い日、寒い日を考えれば、満員電車と往復徒歩4kmは大きな負荷がかかる。また、私一人がマイカー通勤をやめても地球が綺麗になるとは思えない。しかし、若い世代のために自分に出来ることを考え少しでも行動を起こそうと思った時、生きる”張り”が出来た。
 電車通勤を決めた時期に某社会奉仕団体から寄付のお願いが届いた。過去に寄付をしたことはあるが継続的なものではなかったし、他人のことよりは自分の生活で精一杯だった。しかし、父の死んだ年齢を超えて心境の変化がおきた。年金をもらえる歳で、家族全員が健康で、週5日間も働くことができる。世間から見れば到底お金持ちとは呼べないまでもアルバイト料の一部を寄付して、なおかつ社会のために働けば一つの生きる”目的”が生まれる。
 こう考えられるようになったら初穂料も祭礼の寄付も初詣の賽銭も目くじら立てるほどのものではなくなった。神社が潤い、境内が綺麗になり、初詣や七五三で健康や安全を願い、神事を執り行い、祭礼で喜ぶ人ができる。立派に社会の役に立っている。自分の働いたお金が役に立っていると思えばいいのではなく、そう思えるようになったことがありがたい。長く生きれば凡人でも幾らかは成長をする。長生きはありがたい。
 氏子委員の務めだから行くのではなく、妻や息子に仕方なく付き合うのでもなく、また主義主張に反するという理由で嫌々行くのでもない。今年は自ら進んで初詣に行ってみるか。

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