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映画「パンケーキを毒見する」

 Facebook友人の投稿で知った映画の予告編をYouTubeで見た。パンケーキは菅首相の好物で首相就任当時、新聞記者を集めて好物のパンケーキを振る舞った。そのパンケーキを毒見すると表現したのだから、映画は当然菅内閣を批判する映画であると思われる。予告編では詳しい内容までは分からないけれど監督が解説した言葉にハッとした。
「テレビと違い、映画にはスポンサーがいない。」
「お金を払う観客のために作る。」
なるほど、ニュースもテレビドラマもバラエティも制作費を出してくれるスポンサーを念頭において作り、映画は入場料を払ってくれる観客のために作る。
 テレビ局の番組制作者は視聴者である一般市民がどう思うかを考える。視聴者が喜べば、視聴率が上がりコマーシャルを見る人数が増える。また市民が喜べば、コマーシャルにいい影響を及ぼすからスポンサーも喜ぶ。逆に、もし市民のことを考えて政権を痛烈に批判する番組を作る。ここで市民が政権批判番組を支持すれば視聴率は上がる。けれども、スポンサーは喜ばない。何故なら番組製作者やスポンサーは批判された政権と敵対することになるから、あらゆる許認可権を持つ政権に睨まれることは放送局もスポンサーも避けたい。結局、市民が喜ぶ楽しいだけの娯楽番組しか作れない。つまり、政府を刺激する「パンケーキを毒見する」番組は作れない。
 予告編を見る限り、この映画はユーモアに溢れていて愉快で楽しそうである。それでもこの映画は多分大ヒットしない。予想は当たる。でも、政権を批判する映画をお金を払って見てくれる市民が少しだけはいるのだから、日本はまだましなのかもしれない。
 前政権からの悪質さは限界を超えているのに、この映画がヒットするとはとても想像できない。市民はどう足掻(あが)いても日本は変わらないと諦めている。テレビを見ればオリンピック中継を楽しく視聴できる。平和の祭典と言うけれども、戦争も原爆も福島も繰り返さないメッセージは出てこない。金メダルの報道ばかりで戦争の代替品として扱っている。平和の祭典というのはどうも怪しい。この状態を作り出しているのは放送局であり、スポンサーであり、結局それにチャンネルを合わせる市民である。お金を払って「パンケーキ」を見るよりはオリンピックや推理ドラマやスポーツ中継やバラエティ化したニュース番組を見ていた方が楽しいと思っている。
 こう八方塞がりでは、令和3年度の全収入6,900億円の内、6,714億円が市民からの受信料で賄っているNHKに期待したくなる。スポンサーのいない、政権に頓着する必要のない、市民のための放送局なら、またチャンネルをいくつも持っているのだから2時間程度の「パンケーキを毒見する」ような番組を作ることは十分可能ではないだろうか。
 突然NHKを引き出したのは、我々は映画と同様NHKに受信料という名の入場料を払って見ている。それも万単位である。だったら私のような市民のために番組を作ってほしいのだ。

そうだ。新聞も読者が購読料を払っている。NHKよりは新聞の方がいい。

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