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ただ生きることの難しさ

 昨日、息子の誕生日にメールしたら、珍しく返信があった。
「あっという間の41年」
翌日、妻が言った。
「今日は、私達の結婚記念日だよ。」
続けて、私に聞いた。
「何年目?」
私が答える。
「息子が41なら、プラス3で44年になるはずだ。」
妻は時々、奇声をあげる。
「ワオぉ。金婚式は50年だから、あと6年ね。」

 すべての生物と同様、人間の活動を要約すれば、食べ物を求めて、食べて、寝て、排出する。その繰り返し(ルーチン)である。そして、生物としての究極の目標は子孫を残すことである。すでに孫も生まれた今、無事に目的を達成できた幸運を感謝せずにはいられない。しかし、人は常に子孫を残す以外の目標達成に熱心である。私も生物としての目標とは別に、常に人として何かを成し遂げたいと願ってきた。決して、生物としてのルーチンだけでは満足できなかった。
 人のために働き、社会の役に立つよう求められた。崇高なる志は努力する大切さと成就感を伴った。また、同時に美食や旅行や金や名誉を求める生き物である。
 年齢を重ね出来ないことが増えた。また、癌や脳梗塞などの闘病や後遺症に悩む知人が増え、彼らの苦労が他人事とは思えなくなってきた。人間に与えられた目標が2つだとすれば、年老いてから後者の目標達成は難しい。また、子孫を残す目標もなく、生物としてのルーチンだけが残る。
 幸せすぎた過去を断ち切り、痛みや病気と付き合いながら生物としてのルーチンを全うする毎日にも価値がほしい。

書けば書くほど暗くなる。
「これでは、いけない。」
今日は、ここまでにする。
早く仕事にいきたいけれども、薄暗い前を見ないといけない年齢になりました。

追伸
 イチローがネキスト・バッター・ボックスで行うストレッチを「ルーティン(routine)」と言う。そして、プログラミングの「サブ・ルーチン」の「ルーチン(routine)」は読み方が違うだけで同じ言葉である。
 「Function(関数)」は引数によって値が変わるが、「サブルーチン」は値が変わらない。
人生という関数は、才能や努力といった「引数」で値が変わるが、生物の行う「サブ・ルーチン(毎日の繰り返し)」の値は基本的に変わらない。
ただ、食べ物を求めて、食べて、寝て、排出する。

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