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私は慣例に従う?

 そう言えば、Nさんが嘆いていた。
「私の代で、潰そうと思っている。」
何を潰すかというと老人会である。彼が長いこと会長をやり続けているのは会長を引き受ける人物がいないからだと言う。私も副会長を引き受けてくれないかと何度も打診があった。
「Nさんの頼みですが、副会長を引き受けると次は会長なのでお断りします。」
現在、副会長が不在なのは、皆、会長を引き受けたくないからである。
「書記でお手伝いしますから許してください。」
こう言って断っている。

 今日、床屋で聞いたことが思い出される。
「厄災消除(やくよけ)・厄祓い」に参加する人数が減り続けていて、私が参加した30年前は100名ほどいたのが、年々減り続けて、今年は30名で、来年は10名になり、厄除けは消滅するかもしれないらしい。厄年に自ら災厄を作ることで災難から免れるために、神社や学校などに多額の寄付をしたり旅行でお金を使う慣わしだと承知している。

 家に帰って妻に聞いた。
「今年、◯◯(東京に住む息子の名前)の厄災じゃなかったか?」
「◯◯は一昨年やったわよ。30万円だか、かかったて言ってたわ。」
「そうだ。思い出した。」
一昨年と先一昨年の年末に帰省して、大晦日に神社へ接待に行っていた。本人は同級生に会えてよかったらしいが、仲良しのK君がいなくて残念がっていた。
「K君のお母さんによると、地元に残って人気者だったから役員を引き受けるに決まってるから辞めさせたそうよ。」
「なるほど。」
会長にでもなれば、単なる参加と桁違いの苦労を背負うことになる。

 話を戻す。私が老人会の副会長を引き受けないのは町内会長を引き受けて懲りたからである。
「神社のお札を町内会の班長が配るのはおかしい。」
何十年と続けてきた慣例を止めるためには、神社と交渉したり、町内会員に了承してもらう必要がある。その前に役員会メンバーの意見を統一する必要がある。その交渉役は全て私である。
「町内会が祭礼への協力金を出すのはおかしい。」
町内会からの協力金がないと祭りに支障をきたす。祭礼への協力に賛同する人も多い。
「祭礼行列の交通整理に協力するのは嫌だ。」
仕方ないので個人的に協力してくれる人に頼むしか方法はなかった。

 町内会長を終えると神社の氏子委員を2年務めることになっていた。私はこの慣例を知らずに副会長を引き受けて会長になったのだが、私が引き受けなければ、誰か別の人が引き受けなければいけない。だから、大人しく騙されることにした。ところが、私の後に会長を務めた人が氏子委員を断った。後任が見つからないから、私が引き受けた。その苦労は大変だったから、それを見てきたNさんも老人会の会長を強引には勧めない。

 もう一つ思い出した。
 数年前に子供会が消滅した。その理由も子供会の役員を引き受ける人がいなくなったからである。
 慣例に従ってもいいと思う人が少なくなり、慣例よりも自分の意思を貫く人が増えた。その結果として、慣例によって続いてきたものが消え掛かっている。

 今までの慣例を正面から改革しようとする人はいない。けれども、嫌々役員になると自分の考えを押し通して己の意に沿わないことは「嫌だ」と言う人が増えた。そんな人の集まりである役員会をまとめる会長などは引き受け手がいない。
 私は意に沿わなくても「慣例」通りにして早く会長の荷を下ろしたいと思う古いタイプの人間であるらしい。
 老人会の副会長も考えることにするか?

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