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ICT支援員の業務日誌

今日のICT支援員の仕事で嬉しかったことが幾つかあった。

  • ある先生に頼まれて、ロイロノートで前期給食委員会のクラスと授業を作って喜ばれた。

  • これもある先生からの依頼で、以前からあるエクセルシートの名簿の関数と名前の設定が幾つか壊れていて新年度の名簿が上手くできないのを直したら喜ばれた。

  • C4thでダウンロードできなくなったのをできるようにして喜ばれた。少し違いました。質問した先生の授業中に直してメモを残してきたので、顔は合わせていません。けれども、きっと喜んでくれたと思う。

  • 英語の先生に頼まれて、タブレットで教科書が見られるようにしてあげたので喜んでくれた。

  • 私の作った市内全職員のメールリストから、送信先を繋いでリスメールでメールする方法を説明したら、喜ばれた。

仕事は楽しい時がある。自分にはできて、人にはできない時、支援して喜んでもらった時は嬉しい。これは教師が生徒に教える喜びに似ている。けれども、大学の先生のように専門的な知識ならば喜びも生まれるけれども、大人なら誰でも知っている程度のことや出来ることだとあまり喜びは感じない。教師の喜びは知識を教えることよりは、教師の働きかけが生徒の役に立ったと実感した時である。

 今日は別の喜びも感じた。カウンセラーに職員向けにロイロノートで「SC(School Counselor)便り」を出す方法を説明した時、先生たちからの返信が欲しいと言われた。しかも、ロイロノートで返信を送ってもらうと他の先生に見えてしまうのは困るらしい。そこでGoogleフォームを使う方法を提案し、アンケートフォームを自作してもらって、そのURLをロイロノートのWEBカードにして、先生に送る方法を説明したら、とても喜ばれた。

 こんな発想ができるのは、Googleアカウントやフォームの特性・ロイロノートを熟知しているだけでは思いつかない。喜んでもらえたことより咄嗟にアイデアを思いつくことができて純粋に嬉しかった。また、先生たちの仕事を楽にするためにEXCELシートなどを作り上げた時も同様の嬉さを感じる。

 趣味で、苦労して動画を作り、満足できる作品に仕上がった時、嬉しい。作文も同じだが、残念なことに、動画と作文は視聴回数や「いいね」などの評価がないとさびしい。これは凡人の「ヒガミ(僻み)」だと思うことにしている。

4月の仕事でデジタル教科書の登録方法がわからず苦労して完了した時、仕事をなし終えた充実感を味わうことができた。仕事だからできて当たり前なので誰からの評価もないけれど、それでも嬉しかったのは、マラソンで疲れ切って辛うじてゴールした時の気持ちに似ている。


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