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昭和時代のtip③『破るための規則』

 昭和時代のtipというタイトルを掲げて書き始めてはや2ヶ月。切れ切れに、気の向いた時に、思い出し再考して書いているから雨垂れ式です。ごめんなさい。

 1986年まで続いた昭和時代、1945年に第二次世界大戦が終戦したのが41年前。はて?41年は焼土に秩序が戻るのに十分であったかどうか。

 書き出しからお堅くてごめんなさい。(ごめんなさい。2度目)
 あなたと同じ人間が、自分の手の届かない、声も届かないいお偉い方同士の小競り合いや権力あらあそいが発端で、住む家や食べる物、着る物、身近な人たちの命、生活が危ぶまれた時代があって、何もなくなったらあなたはどんなことをしても生き残ろうとしたでしょ?
 私の親の世代はそうでした。何度かnoteに投稿した文章の中でもお話しましたが、母は小学校低学年のとき鎌倉の海岸を散歩中B29の機銃掃射に追いかけられ、見知らぬ方が手招きしてくださった防空壕に逃げ込み助かりました。10代にもならない子供だったからラッキーとか、怖かったとか、その程度の印象で済みましたが、もう少し大きかったらトラウマになっていたかもしれません。

 そんな時代、小さな犯罪、もちろんスリや置き引きも罪ですが、機銃掃射と比べたら、ねー。という感じでしたでしょう。想像してみてください。そうする人にも、そうされる人にも事情や状況があると思うのです。反対に、規則ってものがあって、一つの条件下では起こりうるアウトプットはある程度限定できる、期待できる結果が予想できる、という環境はいかに天国か。

 だからねぇ、母(昭和九年生まれ)の世代にとって規則ってものは、文化的で平和な社会の約束事なんです。
 そう考えられるようになったのは私自身が還暦を迎えて、文字通りゼロから人生やろうって時に、気づけばそれまでに作り上げたルールに頼り切っていた自分に気づいたからです。会社勤めでもそうでしょ、家事でも同じだと思うんです。人間社会に起こりうる作業ってもののほとんどは想像の範囲を超えないし、超えたとしても一つ一つの作業には特別さはなくその組み合わせとか、普通はありえないコンビネーションとか、そんなイレギュラーに一喜一憂する、そんなものだと思うんです。その作業は一度こなすと経験則の一つとなって積み重ねるたびにどんどん規則やシステムは分厚くなって対応できるようになる。これが経験の強みだと思うんですね。それでいつかその経験だけに基づいて行動や判断するようになる。経験が自分のバイブルとばかりにすっかりそれに頼り切りになるの。
 でもね、還暦を過ぎて、さあ、新しく人生を新しい感覚でと思った時、それが邪魔になっていました。60年という時間は思いのほか環境を変えていて役に立たなくなっていたんです。私たち、いわゆる戦後世代(息子に定義づけられたもので戦中育ちの両親に育てられた昭和30年代生まれの人たち)の親たちは幸せだけ経済成長だけを求めていたので明るく育ちましたよ。辛いこととか、ひもじいことに直面しない、悲しい思いをしない、それが何よりも贅沢で、豊かさの証明でもありました。(そのせいでしょうか、母の世代にとって、何もしないのが贅沢でした。ですから余生のクルーズなんて、もう『洋上の天国』でしたでしょう。一方私はやりたい派ですから、なんでも行ってみる、やってみると、八方手を出します。 クルーズでは時間を持て余しそうです)
 話がそれました。つまり、母世代は規則があってそれに守れられている時代の人だったのです。ですから母は還暦を迎えて嵐が起きました。「私が若い頃は・・・」は聞き得た耳ダコな文句ですが、あれが本当の心情なのだと思いますよ。それをやっていればよかった、ほめられた、規則を守る人ばかりだから安心していられる。ーそれがひっくり返っちゃったわけだから。いつも機嫌悪くて、見る人全てに文句を言う。当然です、だって60年経ったんですからあ、新規則が出来上がっているし、そもそも今は規則は亜安全地帯じゃない、むしろ自由意志を削ぐものに変わり始めているんですから。

 そこで本題ですが・・・、
 そんなことを今日考えていたんですね。それで自分はその規則に対してどうしていただろうかって。ええ、思い出しました。
 果敢に壊しに行ったんです。

 ホテルで秘書をやっていた時、
 総支配人の部屋に詰めているのが窮屈で、ホテル中を歩き回りました。ホテルにはスタッフしか入れないスペースがたくさんあります。部門の人しか入れないところもたくさん。そこにズカズカ入ってゆくわけです。そして書類を届けるふりをして、各セクションの人たちと無駄話をする。と言っても無駄なんかじゃないんです、ちょっとした話を聞いて覚えておく。それぞれのセクションにはそれぞれ特徴的な考え方とか雰囲気とか物事の捉え方とかあって、ⅰという問題の答えがホテルの担当しているサービスによってa
とかAとか『あ』とかの具合に違ってきます。その一つ一つを把握するんじゃなくてそのベースにある『感じ』みたいのを掴んでおきます。
 それでね、一つの視点に専念していると、反対側とか裏とか、俯瞰した視線とか勘定に入れられなくなるのですが、何かって時、中間的な立場でそんな多角的な視点をこっそり提供すると一挙にことが進んだり解決したりします。
 一視点での規則、基礎に縛られていたらそうはできませんよね。でも規則があるからこそ、一視点で満足しない性格がすごく役に立つわけです。それこそ「規則万歳」ってとこです。


 海外の免税店で働いた時は、
 帳簿をアパートに持ち帰りました。これ、規則違反だとあとで言われました。あの頃は、パソコンがなかった時代なので前に発注した商品の数を把握するのにこの方法しかなかったのです。今の在庫を確認した後、帳簿に記録が残っている商品の数を正ちゃんマークで数えていったのです。まあ、入社二年目に半期の発注を任せるなんて、ものすごい太っ腹なことです。これも今はありえないかもしれません。任せてくれた上に勝手な判断で判断した発注数が少なすぎて、再度発注に行かざるをえませんでした。帳簿を持ち帰ったのは、二度目の時の準備のためです。背に腹は代えられません。前期の全発注数を把握することから始めました。教えられたことではなく、自分で考え編み出した解決法です。
 会計の帳簿は、会社のシークレットです。これを外に持ち出すのは言語道断ですが、その時の上司は私が気炎を吐くので折れてくれたのでしょう。それに二十歳そこそこの小娘にこのシークレットを、「もっと有効活用」できるとは思わず、公言どおり発注数のカウントだけに使うのが関の山と踏んだのです。正解でした。その頃の私には別の活用法なぞ思いつくはずもありませんでした。

 長く書きましたが、
 ①昭和時代、規則はある意味、居心地のいい環境を作るための贅沢品だったこと
 ②それため、規則は法律のように取り締まるためのものじゃなく、あなたが根本を正しく把握し、規則を作った人以上のことを考えより良いこと、より効率の良いことを実行しようとするならば、
その規則は簡単にひっくり返せる、壊せる、ということ
 ③むしろ、規則をスタンダード、最低線、基準値と考え、
そこまでは完全把握して、壊して先にすすむための吃水線と考えたら、規則それ自体を守ることに意味はなく、目的の本筋の延長線を追求することに意味があることに気づくはずです。

 規則は壊すもの。時にその影に匿ってもらいながら、いざというときその下から出る。その時にどう説明するか考えるとワクワクしませんか? 

 規則は壊すためにあるんでしょ?
 その先にいい展開があるはずだから。

 これでいきましょう。

 

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