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復習:コレステロールのこと⑥

食生活の今昔


 この期間に頻繁に考えたのは、食生活がいかに変化したかということでした。
 私は昭和30年代の生まれです。子供の頃にやっと冷凍庫のある冷蔵庫が発売されましたが、冷凍食品は高級品でした。魚メインだったし、野菜炒めは本当に野菜がほとんど、肉は風味付け程度。魚も味醂干しとか、干物とか焼くだけで食べられるものが多かった。変わった野菜が入ってくるとそれに手をかけメインディッシュのようにして食べていました。カリフラワーなんてケチャップとマヨネーズをかけてものがドカーンと、テーブルの中央に鎮座してました。お茶漬けといえば、紅生姜とお茶だけ。それでサラサラっといただく・・・とまあ、質素を誇るわけではございませんが(笑)材料も少なく、何を食べていたか明々解々な食事だったわけです。素材のメンバーは変わり映えせず、それに手を加える方法はたかが知れていました。
 それがですよ、30年ぐらい前から色々変わってきたわけです。まぁ、ハンバーガーとか各国の料理などは珍しいものとして入っていたし、日常で食べるものとして定着してきてはいましたが、ちょうど30年ぐらい前から日本人的な工夫が一つ一つに入り込むようになってきたわけです。

 その筆頭は・・・、私としては、ネギ味噌チャーシューメンです。ラーメンもそれはそれで醤油味のあっさり東京ラーメンとか、食べ終わるまでずっと温かい味噌ラーメンとか、九州の豚骨、南九州の豚骨魚介だしみたいに特徴あるラーメンはありました。それが、ここは醤油、ここは味噌といったように不文律を保ちながら我が道を行っていた。それなのに、ネギ味噌チャーシューと言ったら! まぁネギラーメンとチャーシューメンが一度に味わえる上にお店によっては豚骨味噌スープという美味しさの最大級の追求に走り出した。私たちの年代の人間にとってみれば「美味しさのためならなんでもやっていいというのか!」「節操がない」人によっては「邪道だ」と宣う人もいるかもしれません。私たち昭和の人間は、そもそもとかオリジナルとか、原理原型を追求するのが大好きな輩なんです。追求するあまり亜流を許さない人種です。どんなに美味しくても、優れていても亜流を許せないんですね。これからの時代を軽やかに生きるにはこのこだわりをさらりと捨てて、いいものはいい、便利なものは便利、と切り替えを早く乗り換えも機敏にしていかないと乗り遅れます。過去の実績や経験の上に、軽やかさや応用力を発動させれば私たちもまだまだ使えるのですけどね。

 あ、食生活の話でした。
 はい、ですから、こういう全て揃った美味しいものは、私たちの時代には新参者だったのです。だからほら、野菜嫌いの子供のハンバーグにみじん切りにした野菜を混ぜちゃおうという発想はこんなところから来ているんです。本当に美味しい野菜ならそんな手を使わなくても美味しいはずですものね。
 なんの例えなのかと言いますと、ちょうど三十年ぐらい前から、色はおいしさを追求するようになったということを言いたかったんです。
 コッテリ
 じゅわー
 柔らか
 ふわふわ
 えぐみがない
 くさみがない・・・ そういうものが好まれるようになりました。
 これって東日本大震災の直前に感じた、電力の過剰依存に似ています。トイレの便座は暖かくなくちゃいけない?それなら、かかとに穴が空いたソックスでも便座に履かせればいいのです。

 ラーメンはお家の袋麺のをアレンジするのが一番美味しい・・・、ていうようなお店が用意する美味しい料理を凌駕する、オリジナルなレシピがあればいいのですけど。これは誰も彼も給食をたべる、食を共有する経験から「おいしい」の感覚が共有できるところまで来てしまったからなんでしょうねぇ。
 朝、昼、晩、3食食べるのが当たり前で、一食でも食べられないのは可哀想な家庭、状況・・・。そういう感覚を共有し、朝ごはんといえば、昼といえば、とそれぞれメニューが想定できるほどに食の感覚は浸透してしまっています。
 夫に医師が言ったように、体内でコレステロールを生成できる人間は家での食事は控えめにするのがいいでしょうし、たくさん食べる必要はないのかもしれません。一人一人体質も、習慣も違うのだから、皆が同じルールで食べる必要なないのです。残念ながら自分で自分の体内の様子は把握できませんから。それで夫の「君がご飯をたくさん作るから食べざるを得ない」の発言が登場するのです。

 今の方達はわかりませんが、私たちの世代は家での食事は子供の頃から質素で凝ったものはありません。その時代に体は作られたわけですから、遺伝的要素に加え、子供の頃の家庭環境も健康状態を把握するには欠かせないのだと、思い知ったのです。


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