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ボードワン博士がいなければこの寒桜も見れなかったかもしれない

昨日、仕事場に向かうために上野公園を通り抜けると「寒桜」が開花していました。東京都美術館側のボードワン博士像の手前です。海外からの旅行者もスマホをかざして撮影中、こちらもパシャです。

青空に桜、季節は着実に春に向かっていますね

訪れる人を穏やかな気持ちにしてくれる上野公園ですが、かつては上野の山と呼ばれ、東比叡山寛永寺を擁する江戸の名所でした。しかし、幕末の戊辰戦争によってこの一帯は焼け野原となっったのです。

明治新政府は荒れ果てた広大なこの地に病院建設を決めていました。それに異を唱えたのが、1870年(明治3年)に病院建設地を視察に来たオランダ人医師のアントニウス・ボードワンさんでした。

博士は自然豊かなこの場所を「西洋に倣って近代的な公園にすべき」と強く提言したのです。この提言は脱亜入欧を進める明治政府の方針と合致し、工事は中断。現在の上野恩賜公園が誕生につながったのです。

上野公園の生みの親ともいえるボードワン博士の像の前を通るたびに、「博士、よくぞ提言してくれました」と軽く頭を下げます。提言がなければ、動物園も美術館も博物館も存在しなかったかもしれませんね。

夏に撮影、ボードウィンとも表記するようです

ところで、このボードワン博士像は1973年に建立されましたが、オランダ政府の資料の間違いで博士の弟の像だったそうです。2006年に像は交換されましたが、博士も長いこと苦笑いしていたでしょうね。

こちらにも草花にまつわる記事を書いています

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