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三浦戦跡めぐり

2022年月。三浦半島にいまも残る太平洋戦争の遺構をめぐる小ドライブ。

歴史をたどるドライブの車は、未来のEVにしました。

日産リーフ
真上から見たように見えるモニターは車庫入れに便利。


YOKOSUKA 軍港めぐり

遺構の前に、現代の海軍を。「YOKOSUKA軍港めぐり」は解説もわかりやすくて面白い。「もし海に落ちたら山の方に泳いでくださいね、反対側はアメリカですから」は案内の定番ネタ。
アメリカ側に泳ぎ着いても助けてくれるとは思うけどたぶん病院の保険は効かない。

イージス艦「まや」
ずらりと並ぶ米海軍のイージス駆逐艦
運良く見れた原子力空母「ロナルド・レーガン」
海上自衛隊の潜水艦はなぜか米軍基地側に停泊する。
潜水艦救難艦「ちよだ」こないだF35が海に墜落した事故のとき捜索にでてた。


これもレア。試験艦「あすか」レーダーやミサイル、様々な装備のテストをする専用艦。

横須賀バーガーとカレー

お昼は横須賀カレーとバーガー。炭水化物と炭水化物。軍港めぐりの乗り場の目の前のレストラン。

なぜか牛乳がつく。


なぜか軍艦の模型。太平洋戦争中の日本の空母。
めっちゃ精密で手が込んでる。

ベルニーの水

公園の名前になっているベルニーは、横須賀の外れの走水から横須賀へ水道を引く工事も指揮した。

無料。ご近所?から汲みに来る人がぞくぞくと。

観音崎水中聴測所跡

灯台で有名な観音崎公園にはいくつかの遺構が残る。岬の先にぽつんとたたずむコンクリートの小さな塔は「観音崎水中聴測所」跡。
戦時中、ここの下で海中の音を聴いて敵の接近を監視していた。

以前は橋が残っていたらしいが今はない
聴測所の周辺は現在も自衛隊の敷地で立入禁止。
自衛隊の施設。今何をしているかは秘密らしい

聴測所の近くには現在も自衛隊の施設がある。あの塔を使って海中から音を聞いてはいないだろうけど、水中マイクやソナーを使って今も監視を続けているのかもしれない。
観音崎公園にはいくつかトンネルがあるけれど、いかにも怪しいドアを埋めた跡が各所にある。
おそらく、戦時中にはこのあたりに網の目のようにトンネルが彫りめぐらされていたに違いない。そのうちの一部は今も使われているのかもしれない。

絶対ここにドアがあった
これもトンネルの入口。

観音崎砲台跡

観音崎には、海に向かっていくつもの砲台が作られ、戦時中は大砲が海に向かってそびえていた。

この両脇に砲台があった。それをつなぐトンネルとレンガの建物。
砲台跡
砲台跡のまわりにはなにやら構造物。
2つの砲台をつなぐトンネルが見える。カメラをいれると中の様子が見えた。
ここにも埋められたドア。弾薬の搬入口だろうか。

砲台跡は探検するYoutube動画がある。

トンネルの入り口は空いているところもあるらしく、公園管理事務所が鍵を管理しているらしい。カメラを入れたトンネルに入った動画もあった


観音崎灯台

ここの建設にも、ベルニーが関わっていた。灯台の展示室にはベルニーの胸像があった。

灯台に続く小道。断層が美しい!

近くには現代の灯台、海上交通管制センターの管制塔。

「震洋」桟橋遺構

油壷に移動。ここには特攻モータボート「震洋」の桟橋跡がある。

この、東大の観測所の脇の急な階段を降りた先。
潮位を測定する観測所。レンガ造りで戦前からのものらしい。土木遺産。
観測所のわきにあった、震洋の桟橋の遺構。向こうには平和なヨットのたまり場。いま桟橋は何をおもうのだろうか。
桟橋の後ろには手堀りの洞窟。資材の保管に掘られたのだろうか。
向こうの方には別の桟橋となにやら建物が。

この周囲の水際にはコンクリートの杭らしきものが転々と残る。きっと桟橋がたくさんあったのだろう。

震洋はベニヤ板で作られた粗末なモーターボート。船首に爆薬を積む。エンジンはトヨタのトラックのもの。簡易な作りだったので6000隻以上作られ、南洋から沖縄、九州、ここ三浦や房総にも基地が作られた。油壺の基地にはおよそ50隻が配備、300人もの部隊だったらしい。
今のこる桟橋はわずかだけれど、当時は数十もの桟橋がならんでいたんだろう。最終的な「震洋」部隊の総数は5万名を超える。

帰ってから本を買って読みました。「神風」よりも遥かに大規模な特攻部隊ですが、粗雑な作りのため相次ぐ事故でうしなわれたり、多くは南洋に移動する船とともに沈められたりして、戦果は数隻の船を沈めたにとどまったとのこと。

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