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第二十六回「愛と誠」(その6)(2017年10月号より本文のみ再録)

 筆者はこれまで数回に分けて『愛と誠』こそが劇画原作者・梶原一騎の頂点に当たる名作であることを語ってきた。さらに付け加えるならば、本作を『週刊少年マガジン』で連載していた3年8ヶ月という期間のなかで講談社出版文化賞受賞を果たした時(1975年5月)こそが、その頂点と言えるだろう。小説家を志すも、生活のため意に沿わぬ原作の仕事を引き受け、『マガジン』誌上にて『チャンピオン太』(※1)でデビューしたのが61年末。以来『巨人の星』『あしたのジョー』など数多くのヒットを生んでおよそ14年、劇画原作の第一人者にまで登り詰めた梶原の、これが唯一の栄冠(※下記ミニコラム参照)であった。これを足がかりに芸能界や映画界、さらには格闘界へと進出を図り、活動の幅を広げていったのはご存じのとおり。一方で、梶原が生み出す作品群は、この頃をピークに徐々に勢いを失っていくことになるのも本連載で何度か述べているとおりだ。
 奇しくも受賞時に掲載された『愛と誠』では、物語に新たな敵、砂土谷峻率いる新宿ヤング・マフィア緋桜団が登場する展開が始まっていた。社会のルール度外視で、邪魔者であれば問答無用で刺し殺す!そんな若き狂人集団と誠や愛の戦いは、後に梶原の「狂気の時代」と呼ばれる時期の作品群の萌芽を感じさせ、これまでの雰囲気とは一線を画した救いのない殺伐とした印象を読者にもたらすこととなる。

※1 1962~63年に『週刊少年マガジン』にて連載(画・吉田竜夫)。

※『愛と誠』の作品データとあらすじ


純愛と暴力。バランスを見失い迷走してゆく物語

 「実は『愛と誠』は好きになれない作品です。後半、好まざる人物が登場し、純愛をぶち壊してしまうから」
 これは本作の担当編集だった宮原照夫の回想(※2)であるが、作品の立ち上げに心血を注いだ彼にそうまでして言わせた緋桜団編、そのあらすじはこうだ。
  さらなる組織拡大のため、不良学生の巣窟である花園実業高校に目をつけた緋桜団は、生徒たちを仲間に引き入れようと学校の乗っ取りを画策する。これに対し、自家製爆弾を武器に単身緋桜団に挑み、真っ向から対立した太賀誠。彼の、死を恐れぬどこか捨て鉢な態度には、実は“ある女性”の存在が深く関係していた...。
 本誌6月号(第24回)にて、『愛と誠』の魅力は同時期に開始した成人誌への劇画執筆により、セックス&バイオレンス描写の解放感がもたらした逆フィードバックにある、と筆者は書いた。当時の少年誌ではギリギリの成人誌的描写は、ながやす巧による華麗な画力がもたらす絶妙なバランスで成り立っていた。だが、この緋桜団編に前後して原作のバイオレンス描写が次第に比重を増し始め、そのバランスを徐々に崩れてゆく。まるで成人誌執筆でつかんだ“暴力”というエッセンスに、梶原がより深く魅了されているようにさえ感じられた。それはなぜなのか?
 端からは、栄光の頂点に立ち新分野にも進出して順風満帆に見えたが、他業界を知らず経営者としての経験にも乏しい梶原は、最初の芸能事業からしてつまずいていた。テレビドラマ化を機に主演の池上季実子を事務所の第1号タレントに引き抜いて売り込みを図るが、思うようにいかない。専属歌手に自身の原作映画の主題歌を歌わせても売れない。たとえテレビ局や映画会社にコネはあっても、新興の芸能事務所が激しい競争の繰り広げられる芸能界で成功できるほど甘くはなかったのだ。
 こうして異業種の現実の厳しさを痛感していたであろうこの時期の梶原に、大きなストレスがのしかかっていたことは想像に難くない。うまくいかないことに対するいら立ちや不満。怒りが故意にせよ無意識せよ、暴力的な描写として原作に強く反映されたとは言えないだろうか?世間が抱いている強面な梶原一騎像を自ら演じ始めるようになったのもこの頃からだ。
 栄光の頂点にあって、自身も周りの環境も目まぐるしく変化する大きな渦のなかで必死に抗おうとする梶原の、つまりは防衛心が『愛と誠』の描写に表れたのではないかと筆者は推測している。
 さて、異論も多々あろうかとは思うが、筆者は緋桜団編で太賀誠と早乙女愛のドラマはすでに完結しており、次に続く最終章・政界疑獄編はその年の秋に公開(※3)される実写映画のために引き延ばされた蛇足だと考えている。それは、前述のあらすじ説明の“ある女性”の存在をめぐって展開するドラマに、その時期の梶原が切望し、また彼が本作を通して伝えたかった“見返りを求めない真の愛”が描かれていると思うからだ。これについては、次号であらためて語ることとしたい。
 本連載『愛と誠』編はいよいよ次号で完結!乞うご期待‼︎

※2 東邦出版刊『「ダメ!」と言われてメガヒット』より。
※3 1976年9月公開の映画『愛と誠 完結篇』(監督:南部英夫)。

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【ミニコラム・その26】

梶原作品の受賞トリビア
 梶原作品としては『愛と誠』の受賞以前に、実は『巨人の星』でも講談社児童まんが賞を受賞している(1967年)。だが、受賞対象に原作者は含まれず、表彰されたのは作画を担当した川崎のぼるのみであった。世間的にはまだ原作者の知名度が低かった時代のエピソードだが、この経緯があったからこそ梶原には受賞に対する強い感慨があったのではないだろうか。本作ではもうひとつ、前年に梶原が作詞したイメージソング『愛と誠』(歌:あいとまこと)に対してもレコード会社から優秀ヒット賞が贈られている。

第二十一回「愛と誠」(その1)を読む

第二十二回「愛と誠」(その2)を読む

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